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初神者

書店に行っていた連れが

「『古事記』を買って来た」


ええっ、確かに今、池澤夏樹の新訳

(日本文学全集01/河出書房新社)が人気ですが。

「ああそれ、店頭に山積みになってたね」


しかし、いままで神話はもちろんファンタジーは

まったく読まなかった人がいきなり

神の名の羅列に挑戦するのは大変ではないでしょうか。


「だいじょうぶ!買ってきたのは『ビギナーズ・ラック』だから」


‥‥『ビギナーズ・クラシックス』(角川ソフィア文庫)ですね。


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by otenki-nekoya | 2015-01-11 21:58 |

なみはずれた知性

うちで「湯川先生」といえば
ドラマでも人気の犯罪の物理トリックを解明する準教授ではなく、
日本人初のノーベル物理学賞受賞者の湯川秀樹博士です。

連れの地元同級生で現役物理学者のS先生と、私の
一推しの物書き物理学者といえば、寺田寅彦先生です。
ふとしたきっかけから思い起こされる郷愁に満ちた光景を描き、
みのまわりのささいな現象に不思議を感じ、
法則を探るべくいきなり数式を並べて計算を始める
(その場で地面に書きなぐったりはしません)などの技は、
科学の目を持つ、漱石の弟子ならではの名人芸。

日本人二人目のノーベル物理学賞受賞者の
朝永振一郎先生も名文家で、とても平明な文章で
難解な事象も楽しい例えを用いて
普通の人にも分かるように解説されています。
この、普通の人に分かるように、と言う事ができるという事は
普通の人の感覚があるという事なので、
すごい頭脳の持ち主にもかかわらず、とても普通の人に感じられます。

極度に内気な湯川先生は
他の利発な兄弟達にくらべて学問が不得手に見えたのか、
父親が、この子だけは大学に行かせないでおこうか‥‥と
中学の校長に相談したところ、校長は驚愕して言ったそうです。

「あんな知性はこれまで見た事がない、
 そんな事を言うならあの子を私にくれ!」

‥‥実の親にも見抜けない並外れた知性。

湯川先生の文章はしいんと静かな、少し寂しげな格調高い文章で、
連れは湯川先生の文章を一番気に入っています。
漢文を読みはじめたのもその影響のようです。

しかし、内面も外面も大変に静かにみえる湯川先生ですが、
考え事に没頭すると無意識にすごい勢いで部屋をぐるぐる歩き回るので、
京大物理学研究室で同部屋だった朝永先生は、逃げ出していたそうです。

ノーベル賞のお二人が実験物理に行かずに理論物理の方に行った理由が、

朝永先生:身体が弱くて立ったまま一時間以上実験が出来なかった
湯川先生:手先が不器用でどうしても実験用のガラス細工が作れなかった

 実にお恥ずかしい次第だがこんなことが一つの動機ともなって、
 とにかく理論をやることになった。
 私はしかし今日の物理学が理論と実験とに分れているのは、
 やむを得ない分業であって、出来るだけ両方に精通するように
 努力すべきことをつねづね痛感している。
 いつの間にか自分が純然たる理論家になってしまったことを肩身狭く、
 且つ淋しく思う気持ちを消すことが出来ない。
 したがって後進の人達にもけっして理論家になることをお勧めしないのである。
                           (昭和十一年十一月)


さすがは戦後の日本人全てに勇気を与えた湯川先生のお言葉、
実に励みに、

ならない。
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by otenki-nekoya | 2013-05-13 22:27 |

子曰く、道は人に遠からず

連れが本を読んでいます。

『中庸』(講談社学術文庫)

‥‥。
『中庸』って。
『四書五経』の『四書』の一つの『中庸』?
なんでまた?
「湯川秀樹博士は小さい時、お祖父さんに
意味が全く分からない漢文を習ったって」

素読ですね。
まるで藩政時代そのままに、子供達が声を揃えて。
正岡子規も小さい頃お祖父さんに漢籍を習ったそうです。
私の曾曾祖父の一人も漢学者なので、明治になっても
曾祖父達は無理矢理素読をさせられたはずです。

「子供の時に、意味はわからなくても丸覚えするって、良いよね」
小さかった湯川先生は可哀相に、泣きながら教わってますよ。
「でもそれがすごい『身になってる』感じがする」

連れは学生時代、古文・漢文をおろそかにした事を
今になって悔やんでいます。
子供のように丸暗記は出来なくても、
大人は意味がわかるからいいじゃないですか。
『論語』は読んだでしょう。
「論語は面白かった」
『中庸』はどうですか。

「ものすごくねむたい」
当たり前です。
四書五経の素読など、意味が分からないながら
声に出して身体に覚え込ませる事に意義がある。

「し、いわく、みちのおこなわれざるや、われこれをしる。
 ちしゃはこれにすぎ、ぐしゃはおよばざるなり」
どうですか。
「うん。気持ちがいい!」
それは良い事ですね。
だから素読は長く続いてきたのでしょう。

「し、いわく、てんかこっかをもひとしくすべきなり。
 しゃくろくをもじすべきなり。
 はくじんをもふむべきなり。
 ちゅうようはよくすべからざるなり!」

‥‥ここは寺子屋か。
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by otenki-nekoya | 2013-05-04 22:14 |

休日のサムライ

いつも歩く海沿いの道を自転車で走ります。
青い海と青い空と新緑の山と柑橘の花の香り。
海は平日通りに漁の船がたくさんでています。

連休中だというのに、定番の白装束の巡礼や
外国人の自転車旅行者などをあまりみかけません。
波が穏やかで、岩場では磯釣りをしています。

自転車道から見晴らしの良い休憩所に上がると、
ぺかぺかと赤いコンバーチブルや四輪駆動車などが停まり、
子犬を遊ばせているカップルや、
風景をスマホで撮影してつぶやきを流している娘達、
金髪の白人青年等、意外に若者が訪れています。

「ニュージーランドの留学生だって」
話したんですか?
「そこでTさんに会った」
ああ、むこうに日傘が見える。
今の時期日傘をさしているのは地元民ですね、
観光客はそこまで日射しを気にしていない。

「息子さんの友達なんだって。
東の岬に行こうとしたけど、渋滞で車が全く進まない」
なるほど、このへんに人がいないと思ったら、
みんな荒波打ち寄せる奇岩を観に行っていましたか。
「あきらめて、近所の武家屋敷を見せて」
これから藩政時代の美術展示館に行くそうです。

まあ、NZ人なら海も山も見慣れているから、
サムライ・ツアーもいいかもしれませんね。

自転車道を戻っていくと、
菅笠に金剛杖の巡礼姿が板についた
巨漢の白人青年がにっこりと笑顔を向けて、
青い海と青い空と新緑の山が延々と続く
長い長い道を歩いて行きました。
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by otenki-nekoya | 2013-05-03 21:41 | 散歩

帰ってきたみほとけ

帰ってきた連れが
「えっ、こんなことがあったの?」と
ドアの取っ手を握ったまま九時のニュースを見ています。
今日は事件がいろいろあったのです。

九時半を過ぎてふと思い出し、
某公共放送のニュース番組から
旧教育放送に切り替えます。

画面いっぱいに現れる二十体を越す絢爛たる仏像。
「うわあ、すごい!如来と、菩薩と、えーと、明王がいっぱいいる」
密教系はやっぱり豪華ですね。

一番外側は「天部」と解説の先生が言います。
「天!仏の守護!格好良い!」
連れがうなります。
番組アシスタントのしのらーは、帝釈天を見て叫びます。
「せ、センセー!‥‥イケメン!」
‥‥連れと、しのらーのテンションが一緒。

「え?これ東寺?京都の?」
今まで、塔と塀しか見た事なかったですね。
「真言宗だったのか‥‥」

「天台宗のほうは」
あ、出ました比叡山。去年の大河ドラマを思い出します。
「でも焼いたのは信長だ。とんでもない事をするなあ」
神も仏も信じていないのは同じくせに、
美しいものが大好きな連れが天下人のテロルを非難します。

やはり好評だったのでしょう。

全く関心のなかった連れがいきなり仏像に開眼した
このうえなく有り難いTV番組『仏像拝観手引』、
この四月からセカンド・シーズンがはじまっていました。
(Eテレ 毎週火曜 午後9:30ー9:55放映)

次回はこのあたりでも馴染み深い「阿弥陀さま」だそうです。
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by otenki-nekoya | 2013-04-16 22:27 | TV

えびすをさがす

正月二日だというのに、
真っ青な海の上に何隻も船が出ています。

今日は冷たい風ではなく
暖かい日射しの方の干物日和です。
浜の干場では干し上がったばかりの
真っ白なちりめんじゃこをトロ箱に山盛り、
棚のように段になった台車にずらっと並べ
透明な幅広のビニール帯で
台車ごとぐるぐる巻いて固定しています。

一台に何億匹のじゃこが載っているのでしょう。
海に面した干物の作業所には
観光客の車も時々停まります。

‥‥たしかこのへんだったと思ったのに。
通り過ぎたかな。

元日のTV番組で、福の神が自宅に押し掛けるという場面があり、
この際、七福神を覚えようと連れが一生懸命見ていました。
「ほたいさん」
ほていさまです。
「ほてい?ぬのぶくろって書いてあるよ?」
袋は確かに音読みではタイですが、
『ほてい腹』という言葉があるでしょう。
「ほていさんか。弁天さまと寿老人はわかる。
‥‥ほていさんと似たような神様はどこが違うの」
頭巾をかぶって、打ち出の小槌を持っているのが大黒天。
「ちゃんと服を着ている人ね」
えびすさまは──

実物を見てもらおうと思って、
海岸に面した祠を尋ねて
いつもの道を来たのですが。

「目立たないの?」
祠は白木で目立ちません。
「目立たない神様は佳いね」

そのまま歩くと高い段の上に
白塗りの小さな祠が見えました。
「あれがそう?」
違います。あんな赤い柱ではありませんでした。
「恵比寿神社って書いてあるよ」
海に面しているから、このへんはみんなえびすさまです。
小さなコンクリートの段を上り、祠の格子戸から覗くと、
小振りで古めかしい、傷ついた恵比寿様が。

もしかしたら。
昔、波に流されて。
それで祠をこんなに高くしたのではないでしょうか。

古いえびすさまの足下に、なぜかさらに小振りな
新しい恵比寿様と大黒様が、2セット。
‥‥えびす、だいこく、えびす、だいこく、えびす。
目出たいのだかなんだかよくわからない混雑ぶりです。

お賽銭をあげて段を降り、もとの方角へ戻ります。
いつもの道のえびすさまは見落として通り過ぎたのでしょう。

干場に戻ると、作業所の並ぶ間にちゃんと
丁度の高さの祠がひっそりとありました。
やはりさっき、山積みのちりめんじゃこに目を奪われた所です。

閉じた格子戸越しに覗き込んだ連れが、
ほこらいっぱいに詰まった像を見て
「大きいなあ!」と驚きながらお賽銭をあげます。

私達はこの目の前の海から上がるもので
生計を立てている訳ではありませんが、
私達の身体はこの目の前の海から上がるもので
もう何割かが出来ているので、
拝見してもかまわないでしょう。

小さな賽銭箱を手で寄せて、
格子戸を開け放ちます。

えびすさまは小脇に大きな鯛を抱え、
去年は空だった手に、節の多い竹の先を細工した
新しい竿を握らせてもらって破顔しています。
足下にたくさんの餅、米、酒。

「いい笑顔だね!」
連れは更にお賽銭を百円追加します。
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by otenki-nekoya | 2013-01-02 22:49 | 散歩

御神鏡

今年最後の瞬間を映すTV画面をみつめ、
除夜の鐘の音を待ちます。

‥‥‥‥。

鳴らない。

大勢の初詣客が粛々と並ぶ彼方の屋根は

──伊勢神宮

ああっ、冒頭が神社の可能性を考えていなかった!
「神社は鐘がない?」
神社は鈴です。
除夜の鐘がないと気付いてこれだけ動揺するなんて、
我が身は余程煩悩に塗れているのか。

「仏像もないね」
御本尊ではなく、祭神はあまてらすおおみかみ、
御神体は八咫鏡──

「カガミ?それって、もしかして壇ノ浦で」
剣は沈み、鏡は浮いて。
「時忠が救った功績、というあの御神鏡?」
あの鏡かどうかはわかりませんが。

などと騒いでいるうちに被災地の寺や清水寺、
浅草寺などが紹介され、年が明けました。

TV画面に映る伊勢神宮内宮の屋根に向かい
柏手を打ちます。

かみさま。ほとけさま。そしてみなさま。
本年もよろしくお願い申し上げます。
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by otenki-nekoya | 2013-01-01 21:31 | TV

花と小唄

花に嵐とはまさにこの事、
昨日はベランダの植木鉢が吹き飛ぶ程でした。

山の中程の、所々白いは山桜。
染井吉野は人が植えたところで咲く。
川に張り出した並木は七分で見頃です。

海に面した高校を一周してみました。
校舎を挟んで海に背を向けた校門前には
旧制中学以来の重々しい松や槙が
由緒ありげに整えられていますが、
桜の木はないようです。

この学び舎から街に出た卒業生達は
都会の「桜文化」に呆気にとられる事でしょう。
「私だって、東京に出て桜の気合いに驚いた」
雪月花全てに無縁だったんですね。


公園を通り抜けて帰ろうとすると、
桜を見上げた男性がゆらゆらと
土地に別れを告げる小唄をくちずさんでいます。

 し〜いばあしい わっかあれーの なみだがにいじ〜む〜

今も花を見ると想うのか。
あのうたは、軍歌です。
「え?あの人、そんな年じゃないよ」
子供の頃になじんだ歌なんでしょう。
「──って、大陸?」
違います。

 こ〜いし なあつうかあし あややや や〜あやや

うろ覚えだったのか面倒になったのか、
花を見上げたまま途中で歌詞が適当になります。
私が代わりに歌ってさしあげましょう。

 椰子の 葉陰に 十字星

「南方か‥‥あ!あ、そうか!」
地元の歩兵連隊が向かった地です。
本当にご家族が行かれたのかもしれません。
幼い頃の歌が懐かしいだけかもしれません。
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by otenki-nekoya | 2012-04-01 19:10 | 散歩

雛屋敷

降るか降らぬかというほどの、
春雨じゃ。ぬれていこう。
ぬれるほどですらありません。

三月になって、一日とおかず
雨が降るようになりました。

いっせいに開いた紅梅が、
ぽん、ぽん、と派手な鞠のように
薄暗い小雨の町のあちこちで目に入ります。

国道よりも海に近い旧商店街は
舗道を広く店舗を新しく電線を埋め
ひろびろときれいでひとっこひとりいません。

ひろびろときれいでひとっこひとりいない
商店街に大型観光バスが停まりました。
先に降りた添乗員が雨の加減を思案しています。

少しして、数十人の観光客がバスを降り
車一台通らない商店街の車道を
もやもやと横切りはじめました。

あたらしい舗装と駐車場の一歩奥に
別の世界への門口があります。
もやもやと人々が吸い込まれていく先には

百年以上前のお屋敷が遺っていて
百年以上前のお座敷には
百年以上前のお雛様が飾られて
お客をもてなすのだそうです。
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by otenki-nekoya | 2012-03-04 21:13 | 散歩

こけのむすまで

国歌斉唱のニュースについて話をしていて、
ふと気がついて、連れに改めて尋ねてみました。

あのー。
日本の国歌を知っていますか?
「『君が代』でしょ?」
歌えますか?

「♪しーろーじーにーあ〜か〜く〜 ひーのーまー」
‥‥。
「‥‥あれ?」

学校で習いませんでしたか。
「‥‥習ってない」
やっぱり。おそらく、地方の小さな小学校の校長先生は、
子供達に二度とこの歌を歌わせてはいけないと思ったのでしょう。
「曲はよく聞くけど。どんな歌詞?」

 きーみーがーあーよーおーはー ちーよーにーいぃやーちーよーに
 さーざーれーいーしいーのぉー いーわーおーとーなーあーりてー
 こーけーのーーむーうーすーう まーあぁでー

「すごい。何言ってるのかさっぱりわからない」
私も、小さい頃は「いわおとなりて」は
「岩音鳴りて」だと思っていました。
いわお、は大きな岩、
さざれいし、というのは小さな石です。
「小石が集まって固まって岩になって、更に苔が生えるまで?」
そうです。
「‥‥格調高いなあ」
古今和歌集の歌がもとだそうです。
お祝い事に歌うお目出度い歌ですね。

「君は学校で習った?」
はい。
都市部の大規模校で普通に。
推測ですが、あの頃には『君が代』のイメージは
すっかり変わっていたのだと思います。
「経済成長で戦争のイメージが消えていた?」
というより、東京オリンピックが転機では。
「そうか、オリンピック!」
たぶん、私達を教えた先生達は、子供の頃、
金メダルを讃える荘重な「日本の国歌」を
誇らしく聞いたのではないでしょうか。


まことにちいさなくにが、
開化期をむかえようとしている。

欧米諸国と交際するために必要な儀礼として、
欧米諸国に習いニッポンは国歌を作りました。
ちいさな開化国は奮闘努力し、胸をはり、
戦い、傷つけ、傷つき、立ち上がり、困惑し、
それらはみんな国家としての歴史だから、
当然その象徴である国歌にも歴史がある。

「傷が歴史になるのは、世代がかわってからだ」
だから、サッカーの試合の前に、
若者達はみんなちゃんと国歌を歌います。
「金メダルの時には荘厳でいいけど、
試合前に歌うとちょっと淋しくなる曲だよね」
仕方ありません。
明治の日本人は、西洋音階の歌が歌えませんでしたから。
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by otenki-nekoya | 2012-01-17 21:20 | 音楽
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日記


by otenki-nekoya
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