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みな人倫を明らかにする所以なり

今年の某公共放送大河ドラマは

番宣では「ホームドラマ」としていたので

ちょっと期待薄になっていたのですが。


「さすが長州だ!学問から入った!」


策略から始まる薩摩と揺れる幕府『篤姫』、

暗殺に始まり暗殺に終わる土佐『龍馬伝』、

滅びるのがわかっている会津『八重の桜』、

いずれも幕末ものは面白かったので、

人材豊富な長州には特に頑張ってもらいたいものです。


文字が空中に浮く演出が『蟲師』や『シャーロック』みたいですが、


 人性の善なるは、なお水のひくきにつくがごときなり。

 人、善ならざることあることなく、

 水、くだらざることあることなし。


一緒に歌おう、ではないですが、思わず『孟子』を唱和していたら、

いきなりヒロインに負けました(訳はドラマ版とは異なります)。

 

 痒とは養なり、校とは教なり、序とは射なり。

 夏に校と曰い、殷に序と曰い、周に痒と曰い、

 学は則ち三代これを共にす。


初回は「本」をめぐる話で、なかなか良かったです。


「子役達も、姿勢まで良く似せてあったねー」

山鹿流に「赤穂浪士か!」と突っ込んだら、ちゃんと

明倫館で「赤穂義士」の戦略について講義している声が入ってました。


ラストには良い意味での「そうせい公」が出て来て、

「この騒ぎは何の記録にも載せぬ」と、

フィクションのストーリーである事を

わざわざ念押ししていくのも笑えました。


しかし連れがドラマを見ながら

「あ、本を捨てた!」

「また本を捨てた!」

と叫ぶのですが、叱っているのではなく、

「捨てる」というのは地方語で「落とす」の意味のようです。



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by otenki-nekoya | 2015-01-04 22:46 |

会津に斃る

中学の頃、狐狸庵先生の作品は少し読んだけれど
安岡章太郎作品は読んだ事がありませんでした。

今年訃報に接し、増刷が出るだろうから読んでみようと
思ったのですが、いつもの書店には一冊も入りません。
有名作家に対しても、時代というものは過酷だなあ。
「追悼」の帯の巻かれた『流離譚(上・下)』(講談社文芸文庫)を
みつけて中も見ず買ったのは秋になっていました。

読みはじめて驚きました。
しまった。もう少し早く読んでいれば。

作者の先祖である、地方郷士達の物語という紹介と、
浪漫的な響きのタイトルからか
なんとなくノスタルジックなものをイメージしていたのですが

先祖の私的小説などではなく、幕末動乱の渦中に身を投じた
安岡兄弟の行動を辿り、詳細な資料に語らせる維新史というか。
それこそドラマ『龍馬伝』でお馴染みとなった人物達が
史実としてぞろぞろと絡んできます。
そのうえ後半、安岡兄は板垣退助率いる土佐迅衝隊の参謀となるので
「奥州攻め」が克明に記されています。
こ、この本で会津のお城を攻める事になるなんて。
八重さんすまぬ、これも巡り合わせいうもんぜよ。

まだ読みかけなのですが、これは読むべき、と連れに上巻を貸すと、
「昔の文章がいっぱいだ。これは私には読めないよ」
それはまあ、安岡兄弟の手紙をメインに、
同時代の記録を付き合わせた構成ですから。
ちゃんと大意は本文でも書いてくれているので、
資料部分は読めなくても大丈夫‥‥
とはいえ、あまりに詳し過ぎ、関心の有る事件でないと
読むのが面倒、という感じはあります。

この慎ましい白い帯に、煽りのコピーを入れられないでしょうか。

『弟は 吉田東洋の 首を取った男
 兄は 会津の戦に 斃れた男』

「ええっ‥‥勤王党だったの!」
だから。流されるのです。
ほんのはずみから、とめどもなく流されてしまうのです。
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by otenki-nekoya | 2013-12-22 22:23 |

鹿鳴く館

全国紙の一面コラムが、日本シリーズの話題に絡めて
中井桜州のロンドンでの珍英会話譚を載せていました。

このひとですよ。
明治元年に英国公使ハリー・パークス卿が
帝に謁見に向かった時、行列に切り付けた凶漢と
激しく刃を交え、後藤象二郎の助太刀でその首を取った。
「あ、中井弘。県知事になったんだ!」

留学していたのは幕末ですから、二十前後の事ですね。
「幕末?密航じゃない」
ジョーと違って、薩長は藩でグルです。
「エピソードは面白いけど、話の流れとしては無理があるなあ」
東北チームの外国人選手を讃えるのに、薩摩藩士の逸話。
「なんで中井さんを持ち出したんだろう」

もしかしたら、「鹿鳴館」の印象が筆者の中にあったのかもしれません。
「鹿鳴館?そういえばこのあいだ大河ドラマで出て来た」
『鹿鳴館』という名前をつけたのが、桜州なんです。
「へええ!じゃあ井上馨とも仲が良いんだー」
井上は中井の奥さん取っちゃったんですけど。


猛攻を受ける鶴ヶ城に篭城した、会津家老職・山川家の幼い娘が
麗しのレイディに成長して十年ぶりにアメリカ留学から戻り、
ドラマの前々回にはついに、
あろうことか鶴ヶ城を攻めた薩摩の砲兵隊長・大山巌が求婚し、
当然の大反対にもへこたれず、
目出たく鹿鳴館の華とうたわれた大山捨松が誕生しました。

「書き手の人は、大河ドラマで『鹿鳴館』の回があったので
『東北』から会津、薩摩から中井を連想した──ということ?」
奥州から桜州とか。
それはわかりませんが、コラムのテーマは、
少々ヘンな外国語でも通じあえる、ですよね。

「捨松は日本語だいぶ忘れてたしね」
それは関係──あるかどうか。
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by otenki-nekoya | 2013-11-06 22:01 |

二本差し

白刃のようだった陽光は
ようやく黄金色になりました。
それでも触れると痛いほどです。

通りの向こうから、
つやつやしたススキの若い穂を横ぐわえにして
長い大小を左の腰にさし、悠々と歩む影が来ます。

もし、そこのおかた。
せんだって、帯刀を禁じる太政官のおふれが出て

──百年以上経っています。
大河ドラマの時代に合わせ、これまでためておいた本を
あれこれ読んでいるので、こちらの気分が
「明治十年前後」になっているのでした。

人影に気付き、くわえていたススキの穂をおろした
黄金色の光の中の真っ黒な影は
すれちがいざまウォーキング姿の男性になり

腰にさした二振りの刀は
長い方は巡礼用の金剛杖、
短い方は黒い雨傘でした。

あちらの気分は「幕末!」なのでしょう。
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by otenki-nekoya | 2013-10-14 22:31 | 散歩

西郷さんのかいだん

田町駅の「西郷南州・勝海舟会見の図」の壁画の前を
私は昔、いつも全力疾走していました。
色鮮やかな陶板のモザイク画は、以前は階段の横の壁にあったのです。

刃に襲われ、刃に護られ、危うく首を落とされずに済んだ
英国公使ハリー・パークス卿は日を改めて帝に謁見を済ませ、
横浜に戻ってきした。

さっそくサトウ君は情報収集のために江戸に行き、勝安房守を訪れ、
「新政府軍参謀」の西郷と「幕府陸軍総裁」の勝の談判の様子を聞きます。
丁度大河ドラマでやっていた、有名な薩摩藩蔵屋敷の会見です。

 勝は、慶喜の一命を擁護するためには戦争をも辞せずと言い、
 天皇の不名誉となるばかりではなく、内乱を長引かせるような
 過酷な要求は、必ずや西郷の手腕で阻止されるものと信ずると述べた。
                 『一外交官の見た明治維新(下)』

「ドラマで、西郷は勝から受けた条件を伝えに、
江戸からわざわざ京都まで戻ってたね」
官軍の攻撃は西郷の権限で止めましたが、慶喜の処遇については
京都の太政官代(プレ新政府)で検討しなければなりません。

「大変だなあ。京都まで‥‥馬で?」
西郷は馬に乗れません。駕篭で。
「えっ、西郷さん馬に乗れないの?あ、馬が可哀相か」
‥‥とにかく急いで!

私が昔走っていた田町駅階段の横で
どっしりと構えているように見えた西郷さんが、
そんなに走り回らされていたのだとは知りませんでした。

西郷大移動の間に、勝先生がハリー卿に頼み事をします。
「幕臣が英国大使に?」
京都から戻り、横浜の英国大使を訪ねた西郷に、
ハリー・パークス卿が言い渡します。

 卿は西郷に向かって、慶喜とその一派に対して過酷な処分、
 特に体刑をもって望むならば、ヨーロッパ諸国の輿論はその非を鳴らして、
 新政府の評判を傷つけることになろうと警告した。
                  『一外交官の見た明治維新(下)』

「慶喜の首は取るな‥‥と」
薩摩についてたはずのイギリスが、急にこんな事を言うとは。
「さすがは勝先生、使える者は英国公使でも使う」

 サトウがその節の書記生だから、よく知つてるよ。(略)
 アア、パークスとは大変仲が好くて一番贔屓にしたよ。
                      『海舟語録』

首なんて。
いちいち取っている場合ではありません。

江戸城に向けられなかった大量の欧米製の銃火器は
大河ドラマのヒロイン達が静かに暮らす
北へ北へと押し寄せていきます。
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by otenki-nekoya | 2013-06-07 16:10 |

後藤様の刃

幕府瓦解の時、新政府はどこにあったでしょう。
「どういう意味?」
将軍が存在しなくなったでしょう。
「あ、京都だ。帝と岩倉達が居る」
今年の大河ドラマでは、江戸がお留守になってる感じがよく出てますね。
慶応四年ともなると、戊辰戦争は今どこまで進んでいるのか、と、
前線の方にばかり目がいきますが、
新政府‥‥プレ新政府は戦争ばかりしている訳ではないのでした。

大坂を一時避難していた欧米各国大使は、兵庫港で
『国のトップがタイクーンからエンペラーに変わったが、
条約はこれまで通りで』という通達を受けます。
「出先でそんな政変が起きたら、普通、大使達は国に帰るよ」
見切っているんですね。秩序は保たれていると。

諸外国と新政府高官の本格的な協議の後、
各国公使に対して帝との謁見の申し出がありました。
使者は伊達宗城、
「伊達宗城?宇和島藩の?」
サトウ君は前からこの賢いお殿様と仲が良くて、
招待状を出すより直に言いに行った方がいい、とアドバイスします。

フランス公使は断ります。
「フランスは幕府に加担しているもんね」
まだ逆転の可能性があると思っていたのでしょう。
それでも宗城は上手く説得します。
イタリア、プロシャ、アメリカは、急用が出来て‥‥と
「最強国じゃないところは、様子見か」
オランダは、イギリス公使と同じ行動を取ります、と
「さすが事情通」
そしてイギリスはもちろん
「はい、喜んで!」

謁見当日、三月二十三日、日本の暦では二月三十日。
騎馬護衛兵と第九連隊第二大隊の歩兵護衛兵に挟まれて
「特命全権大使の燦然たる正装」のハリー・パークス卿と
御一行様が馬に乗り、皇居に向かって行列して行くそのただなかに、
刀を振りかざした男達が襲いかかってきました。

「じ‥‥攘夷?」
ハリー卿の前に居た、中井弘蔵という武士が馬から飛び降り
凶漢と斬り合うのですが、なかなか手強く、
危うく首を斬られそうになるところをかわして刀の先を相手の胸に刺します。

 これにひるんだその男が背中を向けたとき、後藤が肩に一太刀あびせたので、
 そのまま地上にぶっ倒れた。そこへ中井が飛び起きて、首を撃ち落とした。
                    『一外交官の見た明治維新(下)』

「後藤‥‥え?後藤象二郎?」
ハリー卿と一緒にいたんです。
「後藤さん、剣術できるの?」

聞いた事ありません。
「桂さんとか、龍馬が強いのは有名だけど」
江戸の道場で腕を磨きました。
「でも、いざという場面では桂さんは逃げるし、龍馬はピストルだ」
薩摩は郷中で示現流を叩き込まれる。
乾退助と勝先生は居合いをやってます。
「二人とも軍人だもの‥‥後藤さんは」
完全な文官です。
それに身分のある人はおいそれとは刀は抜かない。
驚きました。
「ここで特命全権大使が殺されてたら‥‥ものすごい国際問題だ」
女王陛下の軍隊が押し寄せて来て、
国が消えてなくなる程の賠償金を請求されていたかもしれません。

サムライの本能か、ハリー卿に対する友情か、

たまあるか。
後藤様、お腰のものは飾りばあかと
思うちょったけんど、たいしたもん──ぜよ。

‥‥後藤は本当に、憎かったのかもしれません。
新しい世の到来を妨げる、旧い者達が。

もうえい。
もうえいちや、後藤様。
今度はちゃあんと護ってくれたがやないですか。
刀をしまいや、
新政府のお方にそんなものは似合わんき。


「‥‥あ、サトウ君は?」
とっさに馬の頭をめぐらして、凶刃を逃れました。
乗っていた馬は鼻と肩が切られていたけれど。
そのあとは例によって、外科医ウィリスが大活躍です。
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by otenki-nekoya | 2013-06-04 22:15 |

ゴトウさんとサトウさん

乾さんの出身地は地元商店街が
「板垣退助のまち」として宣伝しているそうです。

乾さんの幼なじみ、同じ町内出身というか
ほとんどお隣さんの後藤象二郎は
‥‥無視ですか。

「忘れ去られているねえ」

後藤さんって、英国公使に大層気に入られているんですよ。
例の「イカルス号事件」の件で土佐に停泊していた英軍艦を
藩の重役だった後藤が訪れ、いろいろと話をするのですが、

 後藤は、それまでに会った日本人の中で最も物わかりの
 よい人物の一人であったので、大いにハリー卿の気に入った。
 そして、私の見るところでは、ただ西郷だけが人物の点で
 一枚後藤にまさっていたと思う。
 ハリー卿と後藤は、お互いに永久の親善を誓い合ったのである。
               『一外交官の見た明治維新(下)』

「誉めすぎじゃない?」

 後藤は大名の塩辛にしたやうなものだと言つてやるのサ。
 (大政奉還を建白したのは)坂本が居たからの事だ。
                      『海舟語録』

『龍馬伝』で言えばドラマオリジナルの名場面
「約束のシェイクハンドじゃ!」の後の後藤さんですから、
ものすごく開明的だったのは確かです。

後日、大坂に着いた後藤にサトウが会いに行き、
イカルス号事件──イギリス水兵二名の殺害事件の話をすると、

 後藤は、自分の方でも最近二人の部下が殺されたので、
 イギリス側の気持に対しては同情の念を禁じ得ない、
 前藩主の容堂も自分も、あらゆる手段をつくして
 犯人の発見に努めるつもりであると答えた。

「二人の部下?」
この会話は、大政奉還後の十二月、
いや、日本の暦で十一月二十六日です。
「坂本龍馬と中岡慎太郎‥‥」

公正に見て、後藤は最善を尽くしています。
安全な藩邸に移るよう何度も忠告をしていますし、
隠れ家の近江屋には藩邸からすぐ駆けつけられる。

それでも二人をまもる事はできませんでした。
多くの人が、彼を責めました。

──あらゆる手段をつくして犯人の発見に努める

そのかわりという訳でもないのでしょうけれど。
後藤はこの数ヶ月後、意外な大人物の命を救います。
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by otenki-nekoya | 2013-06-03 22:09 |

いぬい、見参

「それで、意外に過激な中岡さんが、お手紙送った有名人って誰?」
そうでした。お待たせしました。

 前号に慎太郎がかの見込書を送りたる門閥家の有力者とはこれ別人ならず
 即ち乾退助氏にしてその履歴の如くは看客の普く知る所なれば更にもいわず
                       『汗血千里の駒』第五十回


「いぬい‥‥?だれ?」

‥‥。
ここで、「おお!」「あの!」と膝を打ってください、
ここまで引っ張った甲斐がないではありませんか。
紫瀾君、現代では乾氏は、あまねく知られてはいないようです。

いぬい、では分らないのです。
戊辰戦争で西軍を率いて甲府城に向かった際、
現地受けを狙って武田家家臣だった先祖の姓に戻し、
後世にはそちらの名が知られています。

「甘利さん?」
‥‥いや。甘利さんも武田家ですが、ほら、いたでしょう、
大河ドラマ『風林火山』で鬼神のごとき強さの老臣が
「あ!板垣だ!」

「乾退助って、板垣退助の事だったのか」
新撰組と甲州で戦ったときには板垣になってたんですよ。
「慎太郎は、板垣退助に手紙を出したの」
龍馬ー後藤象二郎ー容堂公 の大政奉還ラインは有名ですが、実は
慎太郎ー乾退助ー西郷 という武力倒幕推進派のラインが既にあって。 

『汗血千里の駒』では、慶応三年の「イカルス号事件」で
英国公使パークスが軍艦に乗って土佐まで談判に来るという時、
大監察だった乾はチャンス!と藩に兵の銃隊編成を承認させたという。
この、大砲に腕をもたせかけた洋式軍服の乾さんの挿絵が、
いかにもご満悦、といった風情です。

「板垣って軍人だったのかー」
私も昔、司馬遼太郎が「板垣は政治家というより軍人の才」と
評しているのを読んでびっくりしました。

「『乾』退助は当時そんなに有名だったの?」
あの「自由は死せず」の襲撃事件が
『汗血千里の駒』連載の前年の出来事です。
乾氏は紫瀾君にとって憧れの人だったのだと思います。

以前、坂崎紫瀾の碑を見た事があります。
新しい碑でしたが、それでも大河ドラマに
登場する前に作られたのでしょう、
『汗血千里の駒』の作者、という説明書きの前に、
「自由民権運動家」と書かれていました。
『汗血千里の駒』連載中、紫瀾君は逮捕されて、休載しています。

「でも板垣退助ってあんまりドラマに出てこないよね」
日本中の人に顔が知られているから良いじゃありませんか。
「顔と言うか髭だけど」

‥‥などという会話から三年。
ついに今年の大河ドラマに乾退助、登場です。
今回の放送で、東山道侵攻を前にして、岩倉さんに
「板垣」に改姓する知恵を授かる場面がありました。

後に誰もが知る百円札の男は、
字義通り、ヒロインが撃ち倒すべき敵なのです。
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by otenki-nekoya | 2013-06-02 22:04 |

幕末の観察者

維新前後の日本をつぶさに目にした英国人、アーネスト・サトウの
『一外交官の見た明治維新(上・下)』(岩波文庫)も、
今年の大河ドラマの時系列に合わせ、会津視点で読み返しています。

ちょうど今日の放映は王政復古後、
京都から大坂に逃れた慶喜公が、
外国公使達に面会する場面がある回でした。
あそこに通訳のサトウ君が居たはずです。
彼等は大坂で神戸開港を待っていたのですが、
そこに政変が巻き起こったのです。

生麦事件の直前に十九歳で来日した通訳生サトウ君は
明治に至るまでに数多くの事件に遭遇し、
幕末有名人と会話を交わしてひととなりや容貌を記録しています。
幕末好きなら「おおっ、すごい、生■■と話してる!」と、
大盛り上がりで読める事受け合い。


慶喜が新将軍となった際の謁見で、

 将軍は、私がこれまで見た日本人の中で最も貴族的な容貌をそなえた一人で、
 色が白く、前額が秀で、くっきりした鼻つき──の立派な紳士であった。

幕末一のイケメンは‥‥慶喜?
その立派だった将軍がわずか八ヶ月後、すっかりやつれ、
隊列を連ねて騎馬で大坂入りする姿をサトウ君は見ています。

彼は純粋な観察者ではありません。
彼等外国人の存在があったからこそ、
目の前の事態が引き起こされているのです。

将軍の行列を眺める直前、警護の会津兵でいっぱいの町の、
馴染みの料亭で「会津の家老」と意見を交わしています。

 (家老は、)後藤の考えは実行出来るならおもしろいが、
 一般国民はまだこうした根本的な改革にたえうるほど
 成熟はしていないようだ、とも言った。
 私も代議政治をもって従来の専制政治に代えるのでは、
 まことに奇妙な結果になりはしないかと考えたので、
 この家老の言葉に賛成だった。

後藤象二郎の考えを肯定する会津の家老‥‥。
確かに会津は人材が多いので議会制に向いていたかもしれません。
この御家老様、誰なんでしょう。
以前、サトウ君の前で洋酒をかたっぱしから飲んでみせた
面白エピソードがある梶原様はこの時江戸詰めでしたので、
ドラマで目立っていた田中様だったりすると楽しいのですが。
‥‥楽しくはないか。

大坂で慶喜と会見する際に、
英公使と仏公使がどちらが上位か、もめます。
一見どうでもいいようでグローバル的にはものすごく重要なケンカの中、
やせた会津公と桑名公を見かけます。

そして鳥羽・伏見の戦がおこり、まるで「仁先生」のように
各地でその腕が重宝される外科医ウィリスが会津兵の手当をします。
感謝した会津兵は、

 イギリス人は世界で最も善良で親切な国民だと信じ込んでいる様子であった。

この書き方。
──そんなんじゃないのに。
24歳にして日本語通訳官のトップになっていた
サトウ君は、内心思ったのでしょう。
この文の次に彼は、自分が薩長土と手を結んでいると書いています。

観察者の存在が、観察する現象を変化させる。
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by otenki-nekoya | 2013-05-19 22:07 |

中岡さんの手紙

『汗血千里の駒』を読んで意外に思ったのが、
主人公とともに暗殺された中岡慎太郎の手紙。
藩の兵制に関する意見書が引用されていました。
論文のようなものなので、龍馬の手紙のように
面白くはないのですが、

そうか、慎太郎って結構過激‥‥!
「自由闊達な龍馬、周到慎重な慎太郎」という
ペアのイメージを勝手に作っていたけれど、
龍馬と一緒に殺されたのは偶然だった訳ですし。

真っ正面から撮った真面目そうな写真と、
名前の「慎」の字面から想像していただけで、
あと、小さい頃はダメな子で乙女姉やんにしごかれ、
剣だけは強い龍馬と比べ、
毎日山道を上って勉学に励み、若庄屋として手腕を発揮し
領民に慕われた優等生、という印象も慎太郎にはあったので。

無意識に、龍馬と対照的な相棒としてキャラ設定していましたが、
慎太郎は慎太郎で独自に活動していて、
蛤御門では長州軍に居てあんつぁま達と交戦した程だし、
薩長連合での役割は龍馬以上に重要だったと言うし、
満面の笑顔の写真も発見された事だし、
同じ「慎太郎」で過激な発言をする元知事もいるし、

中岡は相当の武闘派だったのでした。
今年の大河ドラマでは台詞の中に二回名前が出ただけでしたが。

ところで、慎太郎が兵制改革説を送ったのは藩内の有力者で、

 而して慎太郎が知己の有力者といえるは果たしてその誰なるや否は
 次号に於て開巻驚奇の分解を下すべければ
 看官乞う刮目して待ちたまいねかし
                  『汗血千里の駒』第四十九回

なんだかすごい人に送ったそうですよ。
刮目して待ちたまいねかし!
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by otenki-nekoya | 2013-05-17 21:35 |
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日記


by otenki-nekoya
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