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Echigo の國

幼い頃日本一の豪雪地帯の一つに住んでいた事があります。
その時で都市部の人が一生で経験するくらいの分の
雪はもう済ませたつもりです。

連載が再開された新聞小説に、なにげなく目がとまりました。
流刑の地にある主人公が、不思議な行列を目にする場面です。

 大勢の土地の者達が集まって地べたに這いつくばり
 「ゲドエン様」「ゲドエン様」と伏し拝む異相の聖者を、
 事情の判らぬ主人公は立ち尽くしたまま眺め
 『外道院金剛』という幟の文字を読む。

流罪ではなく親の転勤で行った豪雪の町は、
「イ」と「エ」の発音の区別があまりない地域だったそうです。
汽車で長いトンネルをいくつも抜けて引っ越した先の、
それまで生まれ育った首都とは違う言葉に
幼かった私がどう反応したのか、覚えは全くありません。

いつも遊んだ板塀の向こうのヒデちゃんも、
通りがかるとクッキーをくれた肉屋のお姉さんも、
ミーの飼い主で、ピアノのあるお部屋で
紅茶をごちそうしてくださるおばさまも、
幼稚園の友達も先生も、話した内容は覚えているのに、
標準語に変換されてしまって、音が耳に聞こえてこない。

数年して、遥に離れた雪も雨も降らない土地に引っ越したときは
さすがに気候の変化と共に言語の大幅な違いに気付きましたが、
そこの現地語ネイティブになる間もなく
今度は雪は降らないけれど雨が底抜けに降る
古語の影響が残りインパクトの強い現地語の土地に移り、
そのころにはもう絶対方言を身につける年齢を過ぎてしまっていました。
親も同じように転勤ばかりの幼少時代を送って
どこのネイティブともならず、家庭内言語もなんとなく
標準語のまま引っ越しを続けていたのでした。

そんな訳で、ゲドーインをゲドエンと発音する民のくだりを読んで、
ああ、あのへんはそうだった、と思った訳です。
音は思い出せないけれど、豪雪の町で、
父が「これ見て」と指したポスターに、
『デューク・イエセス来る!』
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# by OTENKI-NEKOYA | 2011-01-17 13:59 |

後白河天皇 VS 崇徳院

新聞に載っていたセンター試験の問題を見て、
思い出した事がありました。

 かくあるべしと知りたらば、六人の子供、前後に立て、
 矢種のあらん限り射尽くして、討ち死にして失せたらば、
 名を後代にあげてまし
 『保元物語』

我が子義朝の手にかかるとは、あはれなるかな為義殿。

そうだった、五年前に岩波文庫の『平家物語』全四巻一気読みし、
その文体のあまりの格好良さに、順番が前後したけれど、
次は平家物語エピソード0に当たる『保元物語』を読むぞ!
わざわざ白峯寺の崇徳院御陵まで行って来たんだ!

‥‥と思っていたのに、『保元物語』岩波文庫版、品切れなんですね。
来年の大河ドラマは平清盛なので保元の乱は見せ場だし、
センター試験にも取り上げられた事だし、
岩波さん、再版お願いします。
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# by otenki-nekoya | 2011-01-16 17:20 |

Snow globe

明るいちぎれ雲が空を走り
陽がさんさんとさしていて
硝子の中にいると暖かく感じますが

水をいっぱいに満たしてベランダに置いてあった
じょうろの上面に厚い氷が張っています。
気温はそれなりに低いのです。

反対側の窓から山々の連なる外を見ると
真正面の一番奥の山ひとつだけが真っ白く
そのうえの雲との間がかすかに白く煙って
あそこにだけ雪が降っているのです。

そうではなくて。
あそこより外側全部に、雪が降っているのです。
ニュースを見ても、ひたすら全国の大雪の情景ばかり。
雪を落とした名残の、身を切るような北風の中を歩きながら
不思議な気分で眩い空を見上げます。

小さな家と小さな針葉樹と、時には雪だるまなどを配置した
液体の詰まった硝子の球を逆さまにして、もとの位置に戻すと、
硝子の中だけが降りしきる雪景色になるあの玩具、
ちょうどあれの反対みたいです。

小さな里の中だけが明るい日射しに包まれて、
その外側の世界は、全て降りしきる雪。
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# by otenki-nekoya | 2011-01-16 13:27 |

厳寒

冬の間ほとんどの日は陽が当たるので、
朝方冷え込んでも昼間はさほどでもないのですが、
曇るとひどく寒い一日に感じられます。

年を越して、部屋の窓の下のセンダンに
鈴なりになっていた金色の実が白っぽく乾いて
鳥達に食べられて残り少なになりました。

何か音がするなあ、と見下ろしたら
こんなに寒いのにムクドリ達がわざわざ水浴びをしています。

天気予報は雪でしたが、この里で雪が降る事はないでしょう。
茶色や緑や青のいろいろな色の層になって見える
半円形に里を囲む山々の、一番奥のてっぺんが白く見えたら
それが雪の終点です。
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# by otenki-nekoya | 2011-01-15 13:26 | ベランダ

初春

海まで歩いて五分、といっても湾なので、
遠くに見える岬を越えて行かなければ
海から昇る初日を拝む事はできません。

たいていはひとっこひとりいない海岸に
幼い子供に郷里の海を見せようと
家族連れが何組かちらほらと訪れています。

一面の青い空。
一面の青い海。
一面に当たる日射し。

他は何も無く、風さえないから波もなく、
透明な水がさらさらと浜に寄せて重なります。

一人のお父さんが凧をあげてみせようとするのですが、
風がないからいかんともし難く、
低く振り回される凧を子供達が追い回すという
本来とは全く目的の違う遊びになっています。

もったいないくらいの暖かい日射し。
のどかな春で御座居ます。
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# by otenki-nekoya | 2011-01-02 13:24 | 散歩

双子座流星群

上弦の赤い月が沈みかかる夜空の星の位置を
寝る前にベランダから確認します。
このごろ数回、夜中の決まった時間に目が覚めるので、
夜明け前の五時にすっと目が覚めたところで
膝掛けを羽織ってベランダに出ます。

計算通り、視界にぴったりと入るオリオン座、
強く光るシリウス、上に霞むプレアデス、
放射点の双子座はさらに上にあるはずですが、
軒が遮ってカストルとポルックスは見えません。
けれどこれで充分のはず。

と、思う間にきらびやかな銀の冬の星座の中
眩い金色の光が輝きます。
流れ星、というより花火のひとかけらが燃え尽きるように、
またひとつ、またひとつ。

ベランダに出ていたほんの数分の間に
金色の火の粉のような流星みっつ、
銀色の細い線を描く流星ふたつ。

この区切られた空の中で無精者がこれだけ見たのですから、
海や山などに寝転がって全天を見上げていた人達は
降り続く流星を体中で受けるように感じた事でしょう。
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# by otenki-nekoya | 2010-12-15 14:49 |

徳川十五代

試験期間中の昼間の電車は満員ですが、
ほとんど男子は座らないで立ったまま、
そのかわり女子と違って勉強している子はまずいません。

私の前に立った少年は珍しく英語の参考書を手に、
古典的な赤い透明なプラスチック板を滑らせて
見えない単語を姿勢を崩さず考えています。
詰め襟のボタンを見ると、やはり進学校です。
しばらくして友人が隣に来たので、
お互い異なっている社会科の選択科目の話になります。

「徳川十五代、全部覚えないといけないんだよ」
参考書少年は日本史を取っているようです。
「鎌倉時代からの守護とか‥‥結構大変。
 地理ってどんなの?」
ちょっとふっくらした友人は軽く眉を寄せます。
「鉄鉱石の輸出国とか産出量とか」
「‥‥」
「輸入国とか」
‥‥。
「‥‥面白い?」
友人は吊り革にだらん、と手をかけます。
「おもしろい、というもんじゃないなあ」
「日本史がましだよ。覚えなきゃいけない事多いけど」
揺れる電車の中で姿勢良く立つ少年が言います。
「面白いもの」

そうなんですよ。
それに、徳川十五代は一度覚えれば一生使えるけれど、
鉄鉱石の輸出国なんて数年経てば変わるしね。

今の時代は徳川十五代の名を調べるなんて一瞬の間にできるので、
わざわざ覚える必要なんてなさそうに思えますが、
それでも自分の中にラベルのついた棚として持っているのと
一度ネットで調べてからその時代の関連事項に移るのでは
手間も深みも全く違う。

受験科目のかねあいで放棄せざるをえなかったもので、
なんでも丸暗記できる年頃に無理にでも
詰め込んでおけばよかった、と後悔するものは意外とあるものです。
覚えよ、若者。
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# by otenki-nekoya | 2010-12-14 14:44 | 普段

カウントダウン

先月終わった大河ドラマの最終回は、
主人公の運命が詳しく判っているものですから、
あっ、近江屋に居る、ああ、風邪を引いている、
あああ、慎太郎が来た、
ううっ、峯吉が軍鶏を買いに行ってしまった、
わああああ、扉が叩かれる──、
と一場面ごとに大騒ぎをしてしまいました。

年末三年連続大河ドラマでも、
原作は十年以上前に読んだので細部は忘れましたが、
『病牀六尺』を読んだ事もあり、
主人公の一人の運命が詳しく判っているものですから、
あっ、新聞連載が百回を越えた、ああ、糸瓜の水を採っている、
あああ、筆を手にした、『へちま咲て──』だああ、
と、大騒ぎをしてしまいました。

騒いでどうする。

去年まで「まさおかしきって何書いたひと?」と言っていた連れは
「兄さあ、どこにおるんじゃ」と、
りいさんに成り切って悲嘆に暮れていました。
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# by otenki-nekoya | 2010-12-13 16:47 |

Audubon's Birds of America

まだ先の事ですが、鳥の絵なら種類が多いから
酉年の郵便局の年賀状とはまず被らないだろう、
アメリカの鳥の絵ならどうだ、
ニワトリの原種は‥‥アジア産だからいないか。
などとめくっていた図版それそのものが
新聞の一面目次のところに載っていて、
なんで今、と記事を読んでみたら
オーデュボンの「アメリカの鳥類」がサザビーズで
印刷書籍としては最高価格で落札された、というニュースでした。

米南部の、鳥類学者の名を冠した公園と動物園に行った時、
お土産に、掌に載るくらいの可愛らしくも分厚い
“Audubon's Birds of America”を買いました。
大判のものは高価過ぎましたし、
小さいのに細部まで見事に再現されているのでこれで充分。
そのままカラーコピーしてフォトフレームに飾るとぴったりです。

今回9億6500万円で落札されたものと同じ
435葉の美しい鳥類画がこのてのひらの上に。
今となってはネットで安く簡単に手に入るのでしょうが、
あの湿地の生物の楽園で手に入れたという事が大切なのです。

新聞紙面には鮮やかな 46 Greater Flamingo と
モノトーンに近い 237 Snowy Owl が載っています。
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# by otenki-nekoya | 2010-12-10 14:05 |

昔々、学生時代に行った展覧会で買い込んだ
お気に入りのうさぎのポストカード、
この次の卯年になったら年賀状に使おうと、
もう何年も前から思っていたのに、
なんと郵便局の絵入りはがきと被ってしまいました。
うーむ、残念。

もとはといえば文学好きの親戚が宮尾登美子の小説を読んで
上村松園の代表作「序の舞」を見に行きたいと、と仲の良い母に言い、
文学に本来関心の薄い理系な母は
私を連れて行けば大抵の話は合わせられるだろう、と
三人で隣県の美術館まで出かけていったのが
上村松園・上村 松篁・上村淳之の三世代展、
ずいぶんと昔の事となりました。

松園は凛とした「序の舞」よりやはり「焔」のインパクトが凄くて、
六条御息所の生霊がテーマとされてはいるものの、
いきなりこの怨念は何事、という迫力。
私はもっぱら伝説の母・松園の美人画よりも、
鳥ばかり描いている息子・松篁作品の方が趣味に合って、
指差しては鳥の名を呟いて、美術鑑賞というよりは
ほとんどバード・ウォッチャー状態でした。
親戚はもちろん図録を購入したのでしょうが、
その時に私が何枚か買ったポストカードの中で、
美人画でもなく花鳥図でもないのが
上村 松篁 作 「兎」。

日本を代表するうさぎさんだったんだなあ。
これは自分の眼力を誇り、年賀状に使うのは諦めるしかありません。
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# by otenki-nekoya | 2010-12-04 13:56 | 美術

一・藤・斉

山風といえば開化物第二弾の
『幻灯辻馬車』が角川文庫の新刊として復刊しているではありませんか。
幼い娘が呼ぶと、幽霊となった会津藩士の父が
血まみれの姿のまま助けに現れるのです。
こちらは『警視庁』より少し後の、
過激な自由民権運動が背景になっていたと思います。

警視庁に勤めた斉藤一のほうは、全部は読んでいませんが、
晩年、明治の若者に新撰組時代の懐古譚を語る
浅田次郎の『一刀斎夢録』が面白かったです。
浅田次郎作品は「泣かせ」の場面が入るので私はあんまり好みではないのですが、
これは仕事場に置いてあった週刊文春に連載されていたのを
一週遅れで読んでは、いきなり廊下で居合い抜きの練習がしたくなるくらいの、
さすがの練達の文、上手いものだと感じ入りました。
連載は終わったので、間もなく単行本になると思います。
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# by otenki-nekoya | 2010-12-02 13:44 |

扉を開く者

「龍を斬った男」が京都見回り組
今井信郎とされている事を知ったのは
山田風太郎の『警視庁草紙』第一話でだったでしょうか。
山風時代小説はどれだけ荒唐無稽な展開でも、
歴史的事実の枠だけは絶対に変えないという縛りがあるので、
見回り組・今井も、新撰組・斉藤一も、新政府では
東京警視庁の巡査となった事をこの話で知りました。

実行犯は見回り組としても、もっと大きな黒幕が居るのではないか、と
歴史好きは各説並べますが、一年近く盛り上がった大河ドラマも
最後に近づくうちにそんな事はどうでも良くなって来て、
もう、誰がやっても不思議は無い、チャンスのあるものが犯人だ、
というくらい暗殺の必然性を納得させてしまう作りになりました。

是か非かは個人の立場によって違うから、
いずれ歴史が証明する、と言いますが。
今でも扉を開いた者達は追われ続けます。
彼等が斬られようが囚われようが、
一度開いてしまった扉は二度と閉ざす事は出来ないのにも関わらず。
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# by otenki-nekoya | 2010-12-01 13:31 |

海に浮く

眩しすぎない明るさで発光するモニターのような
空と海を区切るのは青い色鉛筆で引いたような線一本。
いつもは見えにくい沖合を行く小舟や
網を仕掛けた印の浮きや
海面を低く飛ぶ海鳥等が
シャーカステンに付いた塵のように
ぽつんぽつんと黒々と見えます。

海が青いと見え難い。
海が光ると見え辛い。

冷たくなっていくこんな海に
そのひとはどうしてぽつんと浮かんでいたのでしょう。

昨日、間を置いて何機かのヘリの轟音がしました。
毎度お馴染みドクター・ヘリならば往復一度。
海難捜索なら沖や海岸沿いを何度も往復する。
朝のが消防か県警で、午後になってからのが報道、
なんらかの事故か事件があったのです。

だから夕方の地方ニュースを見ました。
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# by otenki-nekoya | 2010-11-30 19:53 | 散歩

注連縄の解

地方新聞に、地元資料館の展示物の紹介として、
江戸末期の庶民の日記が面白い、
と取り上げていたのを何気なく目を通していたところ、
突如、最近我が目にしたような状況が記されていました。

漁港の町の僧侶の日記の中に、
『浦の人々は集落をすっかり囲むように
長い注連縄を張り巡らせた』という記述があり、
書き手の感想は「まるで蜘蛛の巣のようで、自分もその中に捕まったようだ」

‥‥まるで、私が今月初旬に見た注連縄を細かく張り巡らし、
まるごと町を囲んでしまった海沿いの謎の光景ではありませんか。

この記述は、安政のコロリ発生によって大量の死者が出た翌年。
また同じ恐怖が襲って来たと知った時、
原因も防御法も知らなかった人々が、
我が身を護ろうと必死に注連縄を張り巡らし、
怯えて身を小さくしていたのです。

土地は離れていますが、条件は良く似ています。
確証はありませんが、もしかしたらこれが答えかもしれません。
と、地元民に聞いてみましたが、
「こんなとこまでコレラが流行るかなあ?」
と首を傾げています。

こんなところって。
今大河ドラマで時々出て来るある志士は若い頃、
安政の地震やコロリで困窮する農民を救うために
遠いお城下の国老の屋敷へ直訴までして、
救済活動に奔走しているんですよ。
隣村じゃないですか。しかも、あんな山の奥です。
あそこまで届くほどの疫病ならば、
港があってこのあたりでは一番人口の多かったこの町が
コロリの脅威に晒されていなかったとはいいきれません。

御領主の城址の資料館の学芸員さんに尋ねるか、
実際に注連縄の張られたお宅のどなたかに
由来を尋ねれば確実な解答が得られるのでしょう。
でも、突き止めるまでの事でもない、
なにかの加減でこんなふうにふっと謎を解く鍵がやってくる、
ならば、そう思っていましょう。

と、書き込んでいたら隣室のTVニュースで偶然
カリブ海の島国でコレラの感染が拡大していると
聞こえて来ました。

ある日突然、海に守られた島国を襲う脅威。
注連縄を張り巡らしても、防ぐ事は出来ません。
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# by otenki-nekoya | 2010-11-18 21:01 |

現地人

県外ナンバーの多い休日の国道沿いを歩いていると、
駅前から交差する所で駅のレンタサイクルに乗った
千鳥格子のハンチングの中高年男性に呼び止められました。
何度も、地元の方でしょうか、と確認されます。
そうですよ。どちらに行かれますか。

その銅像なら、そこに見えている信号の右手に。
「大変立派な銅像だそうですね」
ええ、大きいのですぐ判りますよ。

駅に地図もリーフレットも看板もあるのに、
すでにこの段階でつっかえましたか。
通りを見ると、確かに国道沿いに他に人影はありません。
地元の人はちょっとした距離でも車に乗るし、
歩くとしても排気ガスの少ない内側の通りを行きますから。
たまたま、国道の向かいに用があって、
信号待ちをしていた私が最初の現地人だったのでしょう。
寒暖差が烈しくて、羽織る適当なものがなく、
ラルフローレンのジャケットなんか着ていたから
観光客っぽく見えて、何度も地元民か確認されたのですね。

地元側は、これほど案内しておけば判るだろう、と思っていても、
実際にはなかなか伝わらないものなのだなあ。
人に尋ねればいい、といっても田舎では
なかなか人に出会わないものなのです。
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# by otenki-nekoya | 2010-11-15 17:01 | 散歩

隣の砂漠

朦朧としている。

澄んだ空の下に濃淡をつけてくっきりと見えるはずの山々が
茫漠と霞んだ波となって春の夕暮れのように、
いくら小春日和とはいえ。

霧の白さとはまた異なる、
なにより乾燥しているのだから霧がかかるはずはない、
この太陽も鈍らせるうっそりとした黄色い靄は、

黄砂‥‥?
まさかと思ったものの、ニュースで確認して驚きました。
隣国はやはりすぐ隣にあるものなのです。
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# by otenki-nekoya | 2010-11-12 20:00 |

秋の祭

十一月の祝日は空が青いので散歩に出ました。

気がついたのは、国道沿いの途中からです。
道に面して高さ一間くらいのところに、
紫と白の紙を重ねて切った紙垂(しで)と、
短く切った榊の枝を等間隔に下げた注連縄が、
普通の民家に、美容院に、地方新聞の支局にまで、
一軒一軒どこかにひっかけて延々と連なっているのです。

何かの神事ではあるのでしょうが、祝日とは関係なさそうです。
と、見ると注連縄を山積みした猫車を押す
休日の町内会のお父さん達といった風情の三人組が
張った縄を指差しながら先を歩いてゆきます。

十一月の祝日の海は水色で空に似ています。
ぎらりと光る群青色の夏の海とはまるっきり別の水のようです。

海に面した小さな家家にも注連縄がずっと架けられています。
しかも、国道から海の間が昔の中心街だったので、
格子状の路地や通り、全ての面に注連縄が張り巡らされています。
なんだか判りませんが、とにかく海に面した小さな町が
まるごと一つ、注連縄できっちりと碁盤目に囲われているのです。

国道から北側には注連縄は張られていません。
そういえば、南側には八幡宮がありました。
昔、町が栄えていた頃の風格を持つ神社の力が、
秋のある祭りの日、
この細かく張り巡らされた注連縄の中に満ちるのでしょうか。
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# by otenki-nekoya | 2010-11-04 12:31 | 散歩
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日記


by otenki-nekoya
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