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曇天に咲く

銀行の裏、川をはさんだ公園は町中なので
冬には葉が落ちて日当り良く、春には新芽がきれいな
背の高い落葉広葉樹を主に植えています。

緑の葉のみずみずしさはまさに今が絶頂。
町中にあると一本で森のような楡の幹に沿うように、
クリーム色の花が房になって5メートル程咲いています。
国道の街路樹のシマトネリコが飛んで、ひっそり育ったようです。

遠目には藤かなにかのように咲きあふれる花を見上げると、
その隣の整った円錐形の樹を覆う緑の葉の上に、
しゅっしゅ、と何十本もの淡緑の穂が
まっすぐ天を指しているのに気がつきました。

落ちて来た雨が、鮮やかな緑の葉に触れた瞬間
緑色が薄くうつり、細い柱に結晶してそこにとどまったようです。

面白い造形だなあ。
クリスマスツリーにぎっしり立てた細身のロウソクのようでもあります。
たぶんまだ蕾だから、あんなにきっちり上を向いているのです。
開いたら明るい色になってふわりと垂れるのでしょう。
樹は南京櫨でしょうか。

このへん一帯の川辺には小ぶりのナンキンハゼがいくつもあって
秋には目を引く白い実をつけるのですが、
それら全てのおおもとはこの公園に植えられた
あの背の高い樹なのかもしれません。

‥‥はいやーあっぷ。
見上げなければ気がつきませんでした。
日射しが強くても気がつかなかったでしょう。
六月は樹の花の満開の季節だったのです。

そう思って気をつけてみると、
そこいらじゅうの樹木にひっそりと薄緑色の花盛り。
彩りのない地味な花が、こんなに綺麗だったなんて。

花の色は控えめでも長い長い穂を盛大に垂らした
支那沢胡桃ばかりは川沿いで毎年思いっきり目立っています。
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by otenki-nekoya | 2013-06-30 22:22 | 散歩

もっと高いところに


 甲板じゅうで歓声があがっていたものの、わたしにはずっと探しても
 富士山が見えなかったのですが、ふと陸ではなく空を見上げると、
 予想していたよりはるか高いところに、てっぺんを切った
 純白の巨大な円錐が見えました。

         『日本紀行』著:イザベラ・バード 
               訳:時岡敬子 講談社学術文庫 
 



ラフカディオ・ハーンも書いています。
主人公が船から富士山を探すんですが、見えない。
オフィサーに尋ねると、笑って言われます。
 
 "you are looking too low. higher up.much higher!"

               『ある保守主義者』著:小泉八雲

「その通りだね。富士山って、思っているよりずっと上にある」

以前、武蔵野の面影を残す森に囲まれた職場に勤めていた連れは、
冬の朝、身体を屈めて歩いていました。
東京も西の方は底冷えがします。

ふと、頭上が明るいような気がして空を見上げると。
朝陽を受けて輝く、純白の巨大な──富士が。


「こうやって、普通に前を見ていても気がつかない」
傘を後ろに傾け、天を仰ぎます。

「──はいやーあっぷ」
まっち、はいやー。
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by otenki-nekoya | 2013-06-22 22:56 |

川の上の道

一日降った雨はそれほどとも思えなかったのですが、
窓から見下ろす川は危うい水位に達しています。

幸い、夜遅くに水位は下がりました。
山の方で一時的に降ったのでしょう。

講演会の司会が回って来ていた連れも
車を水没させる事なく戻れました。

参加者の皆様、おあしもとの悪い中を
‥‥どころではありませんでしたね。

「天候の悪化する中、と言いながら‥‥笑いそうになった」
ほとんど、講演会場が避難所になる覚悟でした。


翌日の地方紙夕刊に、近くの山の写真が載っていました。
やはり、川の上流で集中的な豪雨があったのです。
一見、普通の滑らかな急斜面のようですが、
縦長の画面の中央に白い破線が太く引かれています。

道路のあったところです。

「ああっ、私の自転車コースがっ!なくなっちゃったっ!」

こんな空中を走っていたんですね。
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by otenki-nekoya | 2013-06-21 22:52 |

しばもち

太陽が真上からさし、影が消えて町が光で真っ白です。
例年この時期は曇っているので、あまり見ない光景です。
海風が吹いて、日陰は申し訳ないくらい爽やかです。

のどかな日曜のローカルニュースを見ていると、
海を見下ろすお寺を訪れた巡礼さん達に地元の人が
「柏餅をふるまいました」という映像が

‥‥それ、柏餅じゃないだろう。

菅笠を被った白い巡礼装束の娘さんが、
葉っぱをはいでかぶりついたあんこのはいった餅は、
てのひらサイズのまるっこい葉っぱ二枚にはさまれていました。


子供の頃引っ越しして、驚いた事のひとつは

かしわもちが、かしわのはっぱじゃない!
という事はつまり、かしわもちが存在しない!

そのかわりにみたことのないものがでてきたのです。
あの、もこもこと人の指のようなでっぱりのある
大きな一枚のはっぱにくるむのではなくて、

なんだかそのへんで取って来たような
はっぱの先と柄のところがちょっととんがった、
まるいはっぱ二枚にはさんで蒸したおもち。
光沢もなんだか違う。

柏餅の葉っぱを食べる人はあまりいないと思うので、
たとえ包む葉の種類が違っても、
中はあんこの入った餅なので問題はないのでしょうが。
それ以前に甘いものが苦手な子供だった私は、
食べられなかったので関係ないのですが。

後に、あの菓子はそこらの葉っぱを貼ったわけではなく、
広い地域に渡ってひろまっている、
「しば餅」というものだと知ってまた混乱しました。

「しば」のはっぱ?
引っ越す前のおうちにあったしばふの芝‥‥じゃないし、
おじいさんは山へしばかりにの柴‥‥?
‥‥あれは小枝だ。

さるとりいばら、という冬枯れの姿が印象的な植物と
あのちょっととんがりのある丸い葉っぱが結びつくのは
更に後の事でした。

私が子供の頃の菓子は総じてものすごく甘かったのです。
今は、いわゆる「あまいもの」もおいしくいただいています。

あ。

今気がついたけれど、私、しば餅食べた事がないんだ。
子供でもなければわざわざすすめられる事もありません。
食べつけていないものはなかなか買いません。
いただきものの菓子は、箱入りの日持ちのするものばかり。


いつもの産直市で野菜を買う時に、
出来上がりのタイミングと会えば
地元の餅米を搗いた柔らかいあんこ餅や
黒砂糖の皮のふかしたての饅頭等、
その日のうちに食べ切る手作り菓子が並ぶので、時々買います。
今の時期は、手作りのしば餅に出会えるかもしれません。

おじいさんが山に入ってさるとりいばらのトゲにからまれながら
わざわざ取って来た葉っぱかどうかまではわかりません。
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by otenki-nekoya | 2013-06-16 22:04 |

びわを煮る

雨が少なかったせいか、今年のビワはおいしい。
雨が少なかったせいか、今年のビワは傷みが少ない。

だからといって。
一度に百個以上もらっても。

と、思っていたらレモンをもらいました。
冬場はそれこそ百個以上もらったレモンですが、
この時期には有り難い。

よーし、ビワも瓶詰めにしましょう。

ビワは空気に触れると錆色になるので、
皮をむいて、割って種を取って、
面倒だけれど内側の薄皮も除いて、
ひょいひょいと塩水にほうりこみます。

これどうするの、というくらいあったビワが
皮と種を取ると、なんとかなりそうなくらいの嵩になりました。
種は砂糖を入れて焼酎漬けにすると風味の佳い種酒になりますが、
生薬成分が強いのでたくさんは飲まないように。

あとは他のジャム作りと一緒で、
鍋に入れた果実に砂糖をまぶしておきます。
丸い形がかわいいので、つぶさずそのままにしました。

数時間後に見ると、びっくりするほど水分が出ています。
たしかに、ビワをむくと、つつーっと汁がこぼれ落ちるけれど。

子供の頃、ビワの汁は茶色くなって取れないから、
決して衣服につけてはならぬ、と厳しく言われました。
鉄の掟にしたがい、ぽたぽたとテーブルに落ちた露も確実に拭き取ります。

砂糖の量を加減するために
たっぷりの果汁に沈んだビワを食べてみると、
これはおいしい!生のビワのシロップ漬け、
皮をむいてあるので思わず次々と手を出して
‥‥我にかえります。

鍋を火にかけて、果実にひたひたになるくらいまで水分をとばします。
酸味のある果物には私はレモンを入れないのですが、
ビワは酸味がないので最後にレモンを絞り入れます。

実の形を残しているので、ジャムではなくシロップ漬けになりました。
煮沸消毒したガラス瓶に果実を詰めて、シロップで覆って泡を抜いて、
熱い瓶をタオルでつかんで蓋をしっかり閉め、ラベルを貼ります。

やさしいオレンジ色。
ラベルがなければすぐに何だったかわからなくなるでしょう。

それこそレモン色から暗い橙色まで、
冬から春にかけての柑橘類の瓶詰めの
一番奥に並べます。
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by otenki-nekoya | 2013-06-09 22:30 |

西郷さんのかいだん

田町駅の「西郷南州・勝海舟会見の図」の壁画の前を
私は昔、いつも全力疾走していました。
色鮮やかな陶板のモザイク画は、以前は階段の横の壁にあったのです。

刃に襲われ、刃に護られ、危うく首を落とされずに済んだ
英国公使ハリー・パークス卿は日を改めて帝に謁見を済ませ、
横浜に戻ってきした。

さっそくサトウ君は情報収集のために江戸に行き、勝安房守を訪れ、
「新政府軍参謀」の西郷と「幕府陸軍総裁」の勝の談判の様子を聞きます。
丁度大河ドラマでやっていた、有名な薩摩藩蔵屋敷の会見です。

 勝は、慶喜の一命を擁護するためには戦争をも辞せずと言い、
 天皇の不名誉となるばかりではなく、内乱を長引かせるような
 過酷な要求は、必ずや西郷の手腕で阻止されるものと信ずると述べた。
                 『一外交官の見た明治維新(下)』

「ドラマで、西郷は勝から受けた条件を伝えに、
江戸からわざわざ京都まで戻ってたね」
官軍の攻撃は西郷の権限で止めましたが、慶喜の処遇については
京都の太政官代(プレ新政府)で検討しなければなりません。

「大変だなあ。京都まで‥‥馬で?」
西郷は馬に乗れません。駕篭で。
「えっ、西郷さん馬に乗れないの?あ、馬が可哀相か」
‥‥とにかく急いで!

私が昔走っていた田町駅階段の横で
どっしりと構えているように見えた西郷さんが、
そんなに走り回らされていたのだとは知りませんでした。

西郷大移動の間に、勝先生がハリー卿に頼み事をします。
「幕臣が英国大使に?」
京都から戻り、横浜の英国大使を訪ねた西郷に、
ハリー・パークス卿が言い渡します。

 卿は西郷に向かって、慶喜とその一派に対して過酷な処分、
 特に体刑をもって望むならば、ヨーロッパ諸国の輿論はその非を鳴らして、
 新政府の評判を傷つけることになろうと警告した。
                  『一外交官の見た明治維新(下)』

「慶喜の首は取るな‥‥と」
薩摩についてたはずのイギリスが、急にこんな事を言うとは。
「さすがは勝先生、使える者は英国公使でも使う」

 サトウがその節の書記生だから、よく知つてるよ。(略)
 アア、パークスとは大変仲が好くて一番贔屓にしたよ。
                      『海舟語録』

首なんて。
いちいち取っている場合ではありません。

江戸城に向けられなかった大量の欧米製の銃火器は
大河ドラマのヒロイン達が静かに暮らす
北へ北へと押し寄せていきます。
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by otenki-nekoya | 2013-06-07 16:10 |

後藤様の刃

幕府瓦解の時、新政府はどこにあったでしょう。
「どういう意味?」
将軍が存在しなくなったでしょう。
「あ、京都だ。帝と岩倉達が居る」
今年の大河ドラマでは、江戸がお留守になってる感じがよく出てますね。
慶応四年ともなると、戊辰戦争は今どこまで進んでいるのか、と、
前線の方にばかり目がいきますが、
新政府‥‥プレ新政府は戦争ばかりしている訳ではないのでした。

大坂を一時避難していた欧米各国大使は、兵庫港で
『国のトップがタイクーンからエンペラーに変わったが、
条約はこれまで通りで』という通達を受けます。
「出先でそんな政変が起きたら、普通、大使達は国に帰るよ」
見切っているんですね。秩序は保たれていると。

諸外国と新政府高官の本格的な協議の後、
各国公使に対して帝との謁見の申し出がありました。
使者は伊達宗城、
「伊達宗城?宇和島藩の?」
サトウ君は前からこの賢いお殿様と仲が良くて、
招待状を出すより直に言いに行った方がいい、とアドバイスします。

フランス公使は断ります。
「フランスは幕府に加担しているもんね」
まだ逆転の可能性があると思っていたのでしょう。
それでも宗城は上手く説得します。
イタリア、プロシャ、アメリカは、急用が出来て‥‥と
「最強国じゃないところは、様子見か」
オランダは、イギリス公使と同じ行動を取ります、と
「さすが事情通」
そしてイギリスはもちろん
「はい、喜んで!」

謁見当日、三月二十三日、日本の暦では二月三十日。
騎馬護衛兵と第九連隊第二大隊の歩兵護衛兵に挟まれて
「特命全権大使の燦然たる正装」のハリー・パークス卿と
御一行様が馬に乗り、皇居に向かって行列して行くそのただなかに、
刀を振りかざした男達が襲いかかってきました。

「じ‥‥攘夷?」
ハリー卿の前に居た、中井弘蔵という武士が馬から飛び降り
凶漢と斬り合うのですが、なかなか手強く、
危うく首を斬られそうになるところをかわして刀の先を相手の胸に刺します。

 これにひるんだその男が背中を向けたとき、後藤が肩に一太刀あびせたので、
 そのまま地上にぶっ倒れた。そこへ中井が飛び起きて、首を撃ち落とした。
                    『一外交官の見た明治維新(下)』

「後藤‥‥え?後藤象二郎?」
ハリー卿と一緒にいたんです。
「後藤さん、剣術できるの?」

聞いた事ありません。
「桂さんとか、龍馬が強いのは有名だけど」
江戸の道場で腕を磨きました。
「でも、いざという場面では桂さんは逃げるし、龍馬はピストルだ」
薩摩は郷中で示現流を叩き込まれる。
乾退助と勝先生は居合いをやってます。
「二人とも軍人だもの‥‥後藤さんは」
完全な文官です。
それに身分のある人はおいそれとは刀は抜かない。
驚きました。
「ここで特命全権大使が殺されてたら‥‥ものすごい国際問題だ」
女王陛下の軍隊が押し寄せて来て、
国が消えてなくなる程の賠償金を請求されていたかもしれません。

サムライの本能か、ハリー卿に対する友情か、

たまあるか。
後藤様、お腰のものは飾りばあかと
思うちょったけんど、たいしたもん──ぜよ。

‥‥後藤は本当に、憎かったのかもしれません。
新しい世の到来を妨げる、旧い者達が。

もうえい。
もうえいちや、後藤様。
今度はちゃあんと護ってくれたがやないですか。
刀をしまいや、
新政府のお方にそんなものは似合わんき。


「‥‥あ、サトウ君は?」
とっさに馬の頭をめぐらして、凶刃を逃れました。
乗っていた馬は鼻と肩が切られていたけれど。
そのあとは例によって、外科医ウィリスが大活躍です。
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by otenki-nekoya | 2013-06-04 22:15 |

ゴトウさんとサトウさん

乾さんの出身地は地元商店街が
「板垣退助のまち」として宣伝しているそうです。

乾さんの幼なじみ、同じ町内出身というか
ほとんどお隣さんの後藤象二郎は
‥‥無視ですか。

「忘れ去られているねえ」

後藤さんって、英国公使に大層気に入られているんですよ。
例の「イカルス号事件」の件で土佐に停泊していた英軍艦を
藩の重役だった後藤が訪れ、いろいろと話をするのですが、

 後藤は、それまでに会った日本人の中で最も物わかりの
 よい人物の一人であったので、大いにハリー卿の気に入った。
 そして、私の見るところでは、ただ西郷だけが人物の点で
 一枚後藤にまさっていたと思う。
 ハリー卿と後藤は、お互いに永久の親善を誓い合ったのである。
               『一外交官の見た明治維新(下)』

「誉めすぎじゃない?」

 後藤は大名の塩辛にしたやうなものだと言つてやるのサ。
 (大政奉還を建白したのは)坂本が居たからの事だ。
                      『海舟語録』

『龍馬伝』で言えばドラマオリジナルの名場面
「約束のシェイクハンドじゃ!」の後の後藤さんですから、
ものすごく開明的だったのは確かです。

後日、大坂に着いた後藤にサトウが会いに行き、
イカルス号事件──イギリス水兵二名の殺害事件の話をすると、

 後藤は、自分の方でも最近二人の部下が殺されたので、
 イギリス側の気持に対しては同情の念を禁じ得ない、
 前藩主の容堂も自分も、あらゆる手段をつくして
 犯人の発見に努めるつもりであると答えた。

「二人の部下?」
この会話は、大政奉還後の十二月、
いや、日本の暦で十一月二十六日です。
「坂本龍馬と中岡慎太郎‥‥」

公正に見て、後藤は最善を尽くしています。
安全な藩邸に移るよう何度も忠告をしていますし、
隠れ家の近江屋には藩邸からすぐ駆けつけられる。

それでも二人をまもる事はできませんでした。
多くの人が、彼を責めました。

──あらゆる手段をつくして犯人の発見に努める

そのかわりという訳でもないのでしょうけれど。
後藤はこの数ヶ月後、意外な大人物の命を救います。
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by otenki-nekoya | 2013-06-03 22:09 |

いぬい、見参

「それで、意外に過激な中岡さんが、お手紙送った有名人って誰?」
そうでした。お待たせしました。

 前号に慎太郎がかの見込書を送りたる門閥家の有力者とはこれ別人ならず
 即ち乾退助氏にしてその履歴の如くは看客の普く知る所なれば更にもいわず
                       『汗血千里の駒』第五十回


「いぬい‥‥?だれ?」

‥‥。
ここで、「おお!」「あの!」と膝を打ってください、
ここまで引っ張った甲斐がないではありませんか。
紫瀾君、現代では乾氏は、あまねく知られてはいないようです。

いぬい、では分らないのです。
戊辰戦争で西軍を率いて甲府城に向かった際、
現地受けを狙って武田家家臣だった先祖の姓に戻し、
後世にはそちらの名が知られています。

「甘利さん?」
‥‥いや。甘利さんも武田家ですが、ほら、いたでしょう、
大河ドラマ『風林火山』で鬼神のごとき強さの老臣が
「あ!板垣だ!」

「乾退助って、板垣退助の事だったのか」
新撰組と甲州で戦ったときには板垣になってたんですよ。
「慎太郎は、板垣退助に手紙を出したの」
龍馬ー後藤象二郎ー容堂公 の大政奉還ラインは有名ですが、実は
慎太郎ー乾退助ー西郷 という武力倒幕推進派のラインが既にあって。 

『汗血千里の駒』では、慶応三年の「イカルス号事件」で
英国公使パークスが軍艦に乗って土佐まで談判に来るという時、
大監察だった乾はチャンス!と藩に兵の銃隊編成を承認させたという。
この、大砲に腕をもたせかけた洋式軍服の乾さんの挿絵が、
いかにもご満悦、といった風情です。

「板垣って軍人だったのかー」
私も昔、司馬遼太郎が「板垣は政治家というより軍人の才」と
評しているのを読んでびっくりしました。

「『乾』退助は当時そんなに有名だったの?」
あの「自由は死せず」の襲撃事件が
『汗血千里の駒』連載の前年の出来事です。
乾氏は紫瀾君にとって憧れの人だったのだと思います。

以前、坂崎紫瀾の碑を見た事があります。
新しい碑でしたが、それでも大河ドラマに
登場する前に作られたのでしょう、
『汗血千里の駒』の作者、という説明書きの前に、
「自由民権運動家」と書かれていました。
『汗血千里の駒』連載中、紫瀾君は逮捕されて、休載しています。

「でも板垣退助ってあんまりドラマに出てこないよね」
日本中の人に顔が知られているから良いじゃありませんか。
「顔と言うか髭だけど」

‥‥などという会話から三年。
ついに今年の大河ドラマに乾退助、登場です。
今回の放送で、東山道侵攻を前にして、岩倉さんに
「板垣」に改姓する知恵を授かる場面がありました。

後に誰もが知る百円札の男は、
字義通り、ヒロインが撃ち倒すべき敵なのです。
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by otenki-nekoya | 2013-06-02 22:04 |
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日記


by otenki-nekoya
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