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情けは他吸血蝙蝠のためならず

新聞に載っている大学入試問題の抜粋に、
見覚えのある文章が載っていました。

多くの動物で、集団での協力関係が見られるが、
こういった行動は「利他的」に見える。
個体が生き延びるためには「利己的」な行動をとる方が
有利に思えるのに、何故このような事が起きるのか、
といった内容で、それは淘汰の結果なのか、
あるいは「利他的」行動は、外観上ただそう見えるだけなのか。

もちろん、「利己的な遺伝子」では個体の血縁を守る事は
自分の遺伝子を残す目的なので「利他的」ではない事になります。
あ、思い出した、これ『ドーキンスvs.グールド』
(著/キム・ステルレルニー 訳/狩野秀之 ちくま学芸文庫)
じゃないですか。
薄い文庫ですが、巻末の参考書案内まで面白いです。

試験問題は、本文中で次々述べられる仮説をあげ、
一致する内容はどれかを問う(具体的な動物の行動等から選択)形式です。


またなにか面白い本はないか、と問う連れに、
この試験問題を見せると、ひどく驚きました。
「なんで医学部に『国語』の問題が出てるの?」
国語‥‥一応「問題解決能力」という科目になってますが。
「国語だよ。こんな長文読んで、何が書いてあるのか答えるんでしょ」
そういわれればそのとおりですが。
「でも、昔みたいに数学が出来るだけで医学部いける、みたいな状態は
ものすごく問題があったから、工夫したのかなあ」
読まないんですか?
「長い」
進化論は興味ないですか。残念。
故・グールド博士のエッセイ本なら埋まる程貸してあげられるのに。

それにしてもこの『ドーキンスvs.グールド』訳が出たのは2004年です。
なんで今頃出題されたのかと思ったのですが、
なにやらこの「全員が協力し合えば全員がよりよい状態になる」という真理、
リーマン・ショック以降の世界のコンセンサスというか
情けは人のためならず、が動物の進化の上にある、という事が
出題した先生のヒントになったのかもしれません。
「ひと、って人間じゃなくて他の個体って意味?」
あ、そうか。他チスイコウモリとか他オオカミとか他人とかです。
「自己中心的ではない、これからの『正義』の話?」
そういえばこの、いくつかの仮説を実例をあげながら列挙していく書き方も、
「白熱教室」を思わせるかも。
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by otenki-nekoya | 2011-02-27 17:05 |

目の前の「海の幸」

お天気が良いので近所の海岸沿いを自転車で帰っていたら、
すれちがったおじさんの自転車の前のかごと後ろのかごに、
まるで大根でも突っ込むかのように、そのままぼんぼんと、
小振りなサメがむきだしで八匹ばかりほうり込まれていました。

しっぽの切れ込みやからだのしなりかたから、
小さいけれどサメであることは間違いない、
何事、と思ったら目の前の空が一面
カラスやトビやその他小型の猛禽で覆われ、
やがて皆輪を描き出します。

漁があったのか。
普通の砂浜ですから、地引網です。
自転車を止めてのぞくと、小舟が浜に乗り上げていて、
フォークリフトの横に五六人が立って待ち、
だんだん鳥の輪の小さくなる下の波打ち際では
三人の男が網をたぐりよせて中身を集めています。
時折、鳥が網の中のめぼしい魚をめがけて急降下します。
浜ですから、そう大きな魚はいません。
さっきのおじさんは、最初に網の中の邪魔なサメを拾っていったのでしょう。
網の中は、おそらく小さな小さな透明の稚魚が塊になって捕らえられています。

網の中の塊をすくい、平らな箱に広げ、
フォークリフトに重ねて載せて道を挟んだ作業所に運び、
端から大釜で茹でて真白になったのをそのままなら釜揚げ、
再び道を戻って海岸に並べたすのこに薄く広げて陽光と浜風で乾かして。

「海の幸」の絵の巨大な鮫とは比べ物にならない大きさだけれど、
一椀で何千何万の命を口にする、うちの近所の海の幸です。
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by otenki-nekoya | 2011-02-21 14:36 | 散歩

「海の幸」のスケッチ

明治の洋画家・青木繁の、個人所蔵のスケッチが
公開され、一部が新聞に載っていました。

国の重要文化財「海の幸」は中学の美術の
教科書の最終ページに載っていました。

ずいぶん横に長い絵だな。
すいぶん荒々しい絵だな。
海の幸、といってもサメじゃない、これ。

最初に思った事はそのくらいでした。


ところでまだ私がネットを始める前、
いわゆる「月9」の夏クールで
当時はイケメンという言葉はなかったけれど
イケメン二人が海辺の民宿で人生の夏休みを過ごす、
といった、恋愛要素なしのドラマがありました。

主人公の二人にも物語にも特に興味はなかったのですが、
舞台となった民宿のある場所が、
地層の色合いといい岩石の褶曲構造といい、
当時住んでいた場所から良く車で通る
「あのへん」じゃないか、と思われました。

『きことわ』で、永久子が海岸の地層を説明するシーンがありますが、
あんなかんじで、ただの岩でも海岸の模様には個性があります。
今は撮影場所など瞬時にネット上で知れ渡ってしまうでしょうが、
当時そのドラマは撮影場所非公開、という事になっていたそうです。
それでも見慣れた者にはすぐわかる。
わざわざ見には出向きませんでしたが。

わざわざ行ったわけではないけれど、
高いクレーンに積んだカメラや集音マイクをそろそろ降ろして
機材の撤収を行っている現場をたまたま通りがかった事があります。
後日、画面の構図からあれはドラマのラストシーンを
撮影した後だったと知りました。

放送が終了しほとぼりのさめた頃、
当たりをつけていた海岸に降りてみました。

まさにその場所に、ドラマの民宿のセットが
そのまま普通の一軒家のように残されていました。
現実に住宅を建てる事はありえない海からの距離です。
撮影中台風が直撃しなくて良かった。

今では放送から十年以上経っているので、
それこそネットで調べてみると、
民宿のセットはもう跡形もないようです。

ドラマの終盤、街に戻る決心をした主人公の一人が、
ここは休暇を過ごすための場所だ、というようなセリフを
淋しそうに口にします。
確かに都会の人から見れば憧れの夏休みの地ですが、
地元で生まれ育ち働く人に少し失礼なような気もしました。
小さな漁港の町は、岸壁に牡蠣がしがみつくように
小さな家が斜面にひしめいて踏ん張っている。

その漁村・布良で、百七年前、
青年画家は地元の漁師や鮫をスケッチし、
後に国の重要文化財となる大作を描いたのです。
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by otenki-nekoya | 2011-02-17 14:28 | 美術

私と同じ姿の人

「格差」文学という煽りで売った今回の芥川賞作品、
まずは、ベタに夜ラヴクラフトを読むのが好きだというのが
親近感を持たせるお嬢さんのほうから。
デボン期の魚、「ディニクティス」の想像図が懐かしい。
ああ、こんなかんじあるよなあ、という時間感覚を表現した作品ですが、
こんな事あるよなあ、で思い出した事があります。

「とわちゃん、この夏、渋谷に行かなかった?」 (『きことわ』著/朝吹真理子)

すれ違いざまに見た人が、本当はその場にいるはずがないのに、
でも間違いないように思う。

私も大学生の時、クラスメート達に言われました。
「なるちゃん、きのう、渋谷にいたでしょ」

きのうは行ってないよ。

相手はきまって、あれ?絶対そうだと思ったのに、と首をかしげます。

「なるちゃん、きのう渋谷で声かけたのに、気がつかなかったでしょ!」
声をかけるほど近くで見て、私だと思うとは相当似ているな。
「え?違うの?」
うん。どうも渋谷に、私のドッペルゲンガーが一人いるらしい。

大学時代、三回程そういう事がありました。
社会人になってからは、行動範囲が山手線の西側から東側に移ったせいか、
そういう事はなくなりました。
「なるちゃん、きのう八重洲ブックセンターで立ち読みしてたでしょ」
はいはい、それは間違いなく私です。

それからまた何回もの引っ越しの後、
南房総の海のそばのアパートで仲良くなった
下の階の女性から、ある日いきなり言われました。
「国文学科にいらっしゃいましたよね、よくおみかけしました」

そこに居たのか、私のドッペルゲンガー!
私は彼女の母校、お嬢様の園に足を踏み入れた事は一度もありません。
でも確かに近所に居ました、行動範囲が重なって不思議は無い。
「あら‥‥、私、てっきりあの方だとばっかり」
あらためてしげしげと見つめられます。
初対面の時に言わず、何度目かに言い出したという事は、
間近で見て、話をして、確信を持ったからでしょう。
学校は違ったけれど場所は近かったので、
その後はローカルな話題で盛り上がります。

大学、学部学科、在籍年度、これだけわかれば
いざ本気で探そうと思えば探し出せます。
なにしろ「顔」が判っているのですから。
フェイスブックがもし日本でも本格的に普及すれば、
また転勤を重ねている下の階の彼女を通すか、
あるいは子供の頃いつも遊んだ社宅のお隣の幼なじみ、
彼女もその大学ですから、
小説の二人のように歳月を越えて再会して、
そこから私と同じ姿をしているという人に
繋がる、という事も不可能ではありません。

探す事はありませんけれど。
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by otenki-nekoya | 2011-02-13 12:15 |

ニュートリノビーム!

そんな訳で、やっと宇宙に興味を持った連れが
『宇宙は何でできているのか』(著/村山斉 幻冬舎新書)を買って来ました。
それ最近、昨年度の新書・オブ・ザ・イヤーか何か貰いましたね。
「うーん。とっても判りやすいし、最新の情報なんだけど‥‥」
『宇宙創成』読んだ直後だから、知識の羅列という感じがするんでしょ。
「そう。自分がのめりこんで考える余地はない感じ」
しかたないですよ、『宇宙創成』は宇宙論の「解説本」ではなくて
理論と実験の情熱の「ドラマ本」だったんですから。

そういえば、一昨年、再版された南部先生の『クォーク』(ブルーバックス新書)、
面白い面白いと読んでいたんですが、
途中で間を置くと、もう名称等を忘れてしまって、
いかん、これはメモを取りながら読まねば、と思ったものでしたが、
今や『宇宙は何でできているのか』がメモがわりになって、
すぐわかって便利です。
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by otenki-nekoya | 2011-02-11 18:57 |

小さな天動説

小さい頃住んでいたところでは、
山並みを背にして国道の位置に立つと、
遠くにきらきら光る海が見えました。

太陽は海の右側から昇り、左側に沈みました。

夏休み、汽車を乗り継いでお祖父ちゃんのところに行くと
山並みを背に一面の田んぼが広がっていましたが、
自動車に乗ってまっすぐ行くと
田んぼの向こうには海が広がっている事は知っていました。

太陽は見えない海の左側から昇り、右側に沈みました。

おうちと、お祖父ちゃんちではおひさまの動く向きが違う。
ふしぎだ。
私は考えました。
そうだ。
日本は島だから、まわりが海でまん中が山なんだ。
あんなに汽車でトンネルを通るんだから、
おうちとお祖父ちゃんちは山の反対側にある。
きっとおひさまは私が背にして立っているお山の上を通るんだ。

理屈はあってますね。

でも世界は、その時思っていたよりも
ずっとずっと大きかった。
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by otenki-nekoya | 2011-02-05 18:54 |

宇宙のはじまり

新書は読みやすい分あっと言う間に読み終わってしまいます。
『フェルマー』の作者の本は他にないのか、と連れにせっつかれ、
宇宙に興味の無い人に、これはどうなんだろう、と思いつつ
『宇宙創成』(著/サイモン・シン 新潮文庫)を貸しました。
原題はそのまんま『BIG BANG』。
どうして邦題は重々しくしたんでしょう。

数日後。
「‥‥あれは私には無理かも」
やっぱり。普段私が日食だ流星群だと騒いでいても
全然興味を示さないですもんね。

さらに数日後。
「下巻をぱらぱら見たら原子核物理学の話になってた」
星は元素から出来ていますからね。
「‥‥ものすごく面白い」
は?
「慌てて上巻に戻ったらアインシュタインの相対性理論が出て来た」
それがなければ始まりません。
「相対性理論は物理の授業でやったけど、
それが宇宙の構造を説明していたなんて、習わなかったよ!」
‥‥そこに食い付くか。
「私達の分野の場合、同じ“サイエンス”と言っても
ほとんど経験則から成ってて、理由は後から調べて判る訳だけど」
対象が、手に取って観察研究できるものですから。
「宇宙物理学の場合、まず、正しいかどうかはまだ判らない理論ありきで、
後に誰かが観測した結果で正しいか誤っているか証明されるんだね」
2008年のノーベル物理学賞三人衆の素粒子物理学もそうですね。
というか、素粒子と宇宙は地続きでした。手に取って調べる事もできない。
「面白い。面白いなあ」

で。全部読みましたか。
「やっぱり最初のところは駄目だった」
神話と、天動説 VS 地動説のところですか。
「知っておくと良いんだろうけど、どうしても読む気にならなくて」

あなたの宇宙は。
相対性理論から始まったのか。
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by otenki-nekoya | 2011-02-01 18:52 |
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日記


by otenki-nekoya
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