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カテゴリ:美術( 7 )

国立民族学博物館

高校生になると、大阪の叔母が万博記念公園の中の
国立民族学博物館へ案内してくれました。
とりあえずいつも電車から眺めるときは
木立に隠れて見えない太陽の塔の土台部分を
地面からぐわっと眺め上げて顔を見て青空を見て、
それから人気のない博物館に入ります。

入るなり棟方志功の仏版画を指差し「わだばゴッホになる」と叫び、
生涯我が身とは無関係であろう各国の
民具仮面などに思いつくままの戯言を述べ、
どの地域の何というものだか覚える事もできない楽器の音に感銘を受け、
なにがなんだかわからない状態で戸外に出た私に、叔母が言いました。
「うちに下宿して、阪大で文化人類学やれば?」

文化人類学。
なんのために。

今にして思えば、叔母は心底から民俗文化に入れ込んでいたのです。
万国博覧会の遺品に魅入られた、というべきか。
エキゾチックで正体不明な木彫りの櫃や絨毯を、
センス良くインテリアに生かすだけの単なるセレブ奥様ではなかった。
彼女はそれまでに何人もの友人や親戚を
国立民族学博物館に連れて行った事でしょう。
しかし、当時は日本の経済絶頂期、美術展などと異なり、
土俗的な展示に対し、良識有る大人からは
あまりはかばかしい反応が得られたとは思えません。
その中で、血はつながらないものの「変」の遺伝を
私の中に見いだし、ややみどころがある、と思ったのでしょう。

子育てが一段落すると、叔母はやおら愛用の一眼レフと
望遠レンズを何本も担いで異郷・秘境・辺境に赴き、
その年一番の壮大にして珍な写真を年賀状に仕立て、

厳かなる新年の始まりにそれを目にした私を
「どこだここ‥‥」と絶句させるようになりました。
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by otenki-nekoya | 2011-09-30 18:22 | 美術

夢枕に立つ

私が坂本さんを初めて見たのは
夏休みに行った祖父の家でした。

暑い盛り、広縁のある客間の四方に、
垂れ幕のようにぞろぞろとぶら下げられた
鯉だの日の出だの墨絵の山水だの漢詩だのの中、
ひときわぱっとしない墨描きの軸があって、
もっさりした和服の男性の立ち姿に何か賛が少々。

これは何、と祖父に尋ねた所、

日露戦争始まりしときに皇后陛下の御夢に、
坂本龍馬と名乗る武士現れ、及ばずながら我が海軍を護り、
勝利を得ますのでご安心下さい、と語ったという。

もちろん、幼児がサカモトリョーマが維新の立役者で、
小説の主人公としても大人気、などという事は知りません。
この髪ぼさぼさの着物のおじさんは、海軍の守り神なのか。
洋間にはトーゴーゲンスイのお人形もありました。

祖父にとってその軸はストーリーに意味があり、
画にも書にも美術的価値はさしてなかったから、
子供の目に一番つまらなく感じたのだと思います。

後に、皇后の見た夢は「葉山の御夢」として
『時事新報』に載った話題だと知りました。
薩長閥にあてつけた田中光顕の仕掛けっぽいですね。

今年は梅雨も早く明け、連日強い日射しが照りつけています。

「いいかげん虫干ししてくれんかのう、カビが生えて来たぜよ」
と、夢枕に坂本さんが立ちそうです。
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by otenki-nekoya | 2011-07-15 15:29 | 美術

夢から覚めて

武市さんが牢内で書いた漢詩の書が見つかった、
というニュースで振り返ると、

大きい!

立派な掛け軸に表装されているせいもありますが、
獄中で頻繁に奥方宛に書いた手紙や絵とはがらっと雰囲気が違います。

こんなに大きな書で「瑞山」の署名もあるのに、
よくいままで表に出てこなかったものだ、と思ったものの、
そういえば実家の掛け軸の類も、価値のあるものなんて
ないと決めてかかって、そのままになっています。

それにしても牢内でやおら四尺×一尺程の紙を広げ、

 夢で仲間と京に上り、
 巨奸を倒し、やった!と思ったら、
 覚めて汗にまみれ恨み限り無し、
 隣で鶏が朝をつげるのを聴く

殿様に恨みかぎりなし、などという鬼気迫る内容の自作の七言絶句を
罪人がしたためて牢番に礼として贈るなんて場面、
昨年の大河ドラマでやったら、主人公が会いに来る場面以上に
ありえない!と言われそうです。

牢番・貫助、(大河ドラマでは和助、
いつも暗いシーンで顔はよく見えなかったけれど、
半平太と『ハゲタカ』つながりか、
わざわざ小市慢太郎が演じていました)

千万かたじけない。
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by otenki-nekoya | 2011-07-15 14:46 | 美術

五月雨の降り残してや

台風は遠く去ったようですが、
海岸がすぐそこにあるように
波音がここまで届きます。

 三代の栄燿一睡の中にして、大門の跡は一里こなたにあり。
 秀衡が跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す。
 (平泉)『奥の細道』

「平泉」世界遺産登録、おめでとうございます。
昔、私が訪れた頃、復元中の毛越寺はまだ庭園の池と石組みばかりでした。
緑に覆われた今の様子を見ると、なるほど浄土の庭が甦っています。
金堂を護って来た覆堂はもとより、守り手なくしては遺らぬ人類の宝の
お世話を末代までどうかよろしく。
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by otenki-nekoya | 2011-06-26 17:30 | 美術

ライオンキングの図

地元の資料館をのぞいて見ると、メインの展示の他に
時節柄、端午の節句の飾り物がたくさん展示されていました。
地元の旧家等が寄贈した明治頃のものが多いようです。

先日新聞書評欄にも出ていたSさんのご実家からは、
素朴で彩り豊かな五月人形がぞろぞろ。
おなじみ金太郎に髭の豊かな鍾馗様、
虎を打ち据える加藤清正、

その中に若い鎧武者にむかって
赤子を高々と抱えて見せる御老人が!

こ、これです!
二年前に大旗に描かれていたのをみかけたものの、
元ネタが判らず、秘かに「ライオンキングの図」と呼んでいた、
これって一体どこのどちらさま方が何をなさっている場面なのでしょうか。
と叫びそうになったものの、S家の人形には特に説明書きがありません。

落ち着け。
これがかつては端午の節句につきもののモチーフだったならば、
他の展示物にもきっと出て来る。
そちらには説明があるかもしれない。

ありました。
小さな幟を挿し並べた床飾り、
二枚組で、若武者の立ち姿と、赤子を抱いて掲げる翁。
これはタイトルがあります。

『神功皇后と武内宿禰』
た、たけのうちのすくねーっ!
なんと。美しい若武者と見えたのは男装の麗人、
夫無き後、お胎に御子を宿したまま朝鮮に出陣した女帝、
翁は忠臣の誉れも高き武内宿禰、
美しい布に包まれた赤子は後の応神天皇!

そうだったのか。
貴人の想い人が残した遺児を、守り育てていた老爺が見せる、
などという場面だとしたら赤子が小さすぎると思っていたのです。
いかにも、生まれたばかりの御子をお見せしているかんじです。
それにしても神功皇后、この美美しい鎧姿は産後とは見えません。

展示物には、他にも軸物などに同じモチーフが描かれています。
戦前までは、こういった天皇にまつわる物語が一般的だったのでしょう。

二年越しの謎が解け、とてもすっきりした五月のはじまりです。
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by otenki-nekoya | 2011-05-01 14:54 | 美術

「海の幸」のスケッチ

明治の洋画家・青木繁の、個人所蔵のスケッチが
公開され、一部が新聞に載っていました。

国の重要文化財「海の幸」は中学の美術の
教科書の最終ページに載っていました。

ずいぶん横に長い絵だな。
すいぶん荒々しい絵だな。
海の幸、といってもサメじゃない、これ。

最初に思った事はそのくらいでした。


ところでまだ私がネットを始める前、
いわゆる「月9」の夏クールで
当時はイケメンという言葉はなかったけれど
イケメン二人が海辺の民宿で人生の夏休みを過ごす、
といった、恋愛要素なしのドラマがありました。

主人公の二人にも物語にも特に興味はなかったのですが、
舞台となった民宿のある場所が、
地層の色合いといい岩石の褶曲構造といい、
当時住んでいた場所から良く車で通る
「あのへん」じゃないか、と思われました。

『きことわ』で、永久子が海岸の地層を説明するシーンがありますが、
あんなかんじで、ただの岩でも海岸の模様には個性があります。
今は撮影場所など瞬時にネット上で知れ渡ってしまうでしょうが、
当時そのドラマは撮影場所非公開、という事になっていたそうです。
それでも見慣れた者にはすぐわかる。
わざわざ見には出向きませんでしたが。

わざわざ行ったわけではないけれど、
高いクレーンに積んだカメラや集音マイクをそろそろ降ろして
機材の撤収を行っている現場をたまたま通りがかった事があります。
後日、画面の構図からあれはドラマのラストシーンを
撮影した後だったと知りました。

放送が終了しほとぼりのさめた頃、
当たりをつけていた海岸に降りてみました。

まさにその場所に、ドラマの民宿のセットが
そのまま普通の一軒家のように残されていました。
現実に住宅を建てる事はありえない海からの距離です。
撮影中台風が直撃しなくて良かった。

今では放送から十年以上経っているので、
それこそネットで調べてみると、
民宿のセットはもう跡形もないようです。

ドラマの終盤、街に戻る決心をした主人公の一人が、
ここは休暇を過ごすための場所だ、というようなセリフを
淋しそうに口にします。
確かに都会の人から見れば憧れの夏休みの地ですが、
地元で生まれ育ち働く人に少し失礼なような気もしました。
小さな漁港の町は、岸壁に牡蠣がしがみつくように
小さな家が斜面にひしめいて踏ん張っている。

その漁村・布良で、百七年前、
青年画家は地元の漁師や鮫をスケッチし、
後に国の重要文化財となる大作を描いたのです。
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by otenki-nekoya | 2011-02-17 14:28 | 美術

昔々、学生時代に行った展覧会で買い込んだ
お気に入りのうさぎのポストカード、
この次の卯年になったら年賀状に使おうと、
もう何年も前から思っていたのに、
なんと郵便局の絵入りはがきと被ってしまいました。
うーむ、残念。

もとはといえば文学好きの親戚が宮尾登美子の小説を読んで
上村松園の代表作「序の舞」を見に行きたいと、と仲の良い母に言い、
文学に本来関心の薄い理系な母は
私を連れて行けば大抵の話は合わせられるだろう、と
三人で隣県の美術館まで出かけていったのが
上村松園・上村 松篁・上村淳之の三世代展、
ずいぶんと昔の事となりました。

松園は凛とした「序の舞」よりやはり「焔」のインパクトが凄くて、
六条御息所の生霊がテーマとされてはいるものの、
いきなりこの怨念は何事、という迫力。
私はもっぱら伝説の母・松園の美人画よりも、
鳥ばかり描いている息子・松篁作品の方が趣味に合って、
指差しては鳥の名を呟いて、美術鑑賞というよりは
ほとんどバード・ウォッチャー状態でした。
親戚はもちろん図録を購入したのでしょうが、
その時に私が何枚か買ったポストカードの中で、
美人画でもなく花鳥図でもないのが
上村 松篁 作 「兎」。

日本を代表するうさぎさんだったんだなあ。
これは自分の眼力を誇り、年賀状に使うのは諦めるしかありません。
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by otenki-nekoya | 2010-12-04 13:56 | 美術
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日記


by otenki-nekoya
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