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今眼前に古人の心を閲す

『奥の細道』を傍らに置いてあります。

芭蕉が訪ねた土地は、基本、古人が歌に詠んだ、古くから往来のある地域で、
今回の震災で直接被害の甚大だった地域とはあまり重ならないはずです。
私も昔行きました。白川の関。松島。平泉。

読み返すと、以前は気にとまらなかった地名が現れます。

 右に岩城・相馬・三春の庄 (須賀川)
 
「いわき」と「相馬」。

 名取川を渡って仙台に入る (宮城野)

以前は気にとまらなかった部分が、強く響きます。

 むかしよりよみ置ける歌枕、おほく語り伝ふといへども、
 山崩れ川流れて道あらたまり、石は埋て土にかくれ、
 木は老いて若木にかはれば、時移り代変じて、
 其跡たしかならぬ事のみを、爰に至りて疑いなき千歳の記念、
 今眼前に古人の心を閲す。
 行脚の一徳、存命の悦び、羇旅の労をわすれて泪も落るばかり也。
(壺の碑)


芭蕉が、聖武天皇の御時に造られた城跡の文字もかすれた石碑を見て、
古人の心に触れた思いをします。
この部分を、キーン博士は「最も感動的な場面」と指摘していました。

 この一節は、きわめて大きい意義を持っている。
 「国破レテ山河ハ有リ」と吟じた杜甫は間違っていた。
 山川もまた国とともに滅びる宿命を担ったものである。
 ‥‥‥それが芭蕉の言いたいことであった。
 だが、山が崩れ、川の流れが改まっても、詩歌だけは変わらない。
 詩歌に詠まれた歌枕は、その土地の自然よりも長生きする。

            『日本文学史』近世篇・第三巻 「松尾芭蕉」
            (著/ドナルド・キーン 訳/徳岡孝夫  中公文庫)
      

碑が記したこの城の名は多賀城。
なにもかもが消え去っても、誰かが語れば、
消えたものたちも言葉となって残る。


「多賀城」の名が聞こえたのでTVを振り返ります。
迷彩服の兵士達の首に、多賀城の園児達が手作りの
「ありがとう」メダルをかけてあげる場面でした。
by otenki-nekoya | 2011-06-09 20:28 |
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日記


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